2026年7月に見た映画

『ユマカウンティの行き止まり』『デンジャラス・アニマル絶望海峡』『KNRRCAPニーキャップ』『急に具合が悪くなる』『船に乗って逝く』『501号室の男』『隣人たち』『天使の涙』『ミュート・ウィットネス』『ライフ・イズ・ビューティフル』の10本を見ました。この月は非常に忙しかったのですが、どういうわけか忙しい方が映画を見てしまいます。

 おそらく気分が詰まると逃げ道を求めて、それが映画です。

なんとか二回で書きたいと思います。

『ユマカウンティの行き止まり』

 ユマ州の砂漠の入り口にあるガソリンスタンド、砂漠を渡るために給油をしたいと多くの車が寄ります。しかしこの日はガソリンが切れていて給油車がすぐ来るということで、スタンドの隣のダイナー(簡易食堂、喫茶店みたいなもの)で待ちます。


 次々と色々な立場の人間達がきます。

 最初はセールスマン、そして銀行強盗コンビ(奪った大金を持っている)がやってきて、老夫婦、間抜けな保安官、インディアン、犯罪(強盗、殺人)をやりたい若い男女等、集まった人間たちはそれぞれに目的は違いました。

 どこにも行けない実質的な密室のなかで強盗コンビは緊張しています。そして銀行強盗であることに気づかれて、ダイナーの中で銃撃戦が発生して、ほぼ全員が死んでセールスマンだけが生き残ります。

 よせばいいのにセールスマンは銀行強盗のお金を持って逃げようとします。その時にまた家族がやってきて、たくさんの死体と大金に驚きます。

 セールスマンは夫婦も殺して逃走しますが、やっと来た保安官に追われて死んでしまうという話でした。

 のんきな展開ですが、だんだんと緊張してきて、糸が切れたような銃撃戦。そして「漁夫の利を得た」と思ったセールスマンの死という、欲が人間を殺すという映画でした。それは、人間らしさの一面を描いていました。

『デンジャラス・アニマル絶望海峡』

 オーストラリアの港町で、水中でサメを見せる観光船があります。その船長の秘密は観光客をサメの餌にしてそれをビデオに撮っていました。

 船長は美人のサーファーをさらってきて、またサメに食われるビデオを撮影しようとしますが、彼女は粘り強い抵抗を見せます。彼女の恋人もやってきて、さらに争いは激化するという、ハラハラドキドキの映画ですが、気持ちが悪い映画でした。

『KNRRCAPニーキャップ』

 北アイルランドのヒップホップトリオ、ニーキャップの半自伝的映画。アイルランド語で歌うという過激なヒップホップですが、映画としてはよくわからないままでした。寝ていたと思います。

 だから何も言うことはありません。

『急に具合が悪くなる』

 海外でも高い評価の濱口竜介監督だが、私にはその良さがわかりません。

 この映画は、フランス人の福祉施設の責任者マリーと日本人の真里、国際的な演劇の演出家の交流を描いています。

 マリーの福祉施設での混乱はよくわかります。責任者の理念による介護は現場の人たちからは必ずしも支持されていません。お互いに意見をぶつけ合いますが、その闘いがどうなっていくのかはよくわかりません。

 真里の長塚京三が演じる演劇がどのようなものかもよくわかりません。乞われてマリーの施設でそれを演じますが、入居している人々に感動を与えているのかいないのか、はっきりしません。何か自己満足の芝居に見えます。

 二人が唐突に資本主義社会の矛盾を話し合います。そこは彼女たちの苦しみの源泉であると思いますが、映像表現はありません。

 そんなことで二人のマリーが何を求めているのかもよくわからない、という私の見方です。

『船に乗って逝く』

 市民映画劇場7月例会でした。

 中国浙江省の水郷都市を舞台にした映画。老齢の母親に重篤の病気になり、その介護をする姉と弟、その周辺の人々を描きました。

 映画を見る前に中国人の神戸市外国語大学の文化人類学の先生から「日本から見た中国の死生観」という話を聞いていました。それと映画がちょっと違っていました。

 例えば母親の葬式の服です。中国の伝統(それは日本も朝鮮も同じです)は白い服ですが、西洋風の黒い喪服でした。それはなぜなのかと考えました。

 現代中国は大きく変わっているという監督の意図だと思いました。(日本は明治以後急激に西洋風になっています。黒い喪服がどこでもいつでも一般的です)

 姉は米国人と結婚して、上海で英語学校を経営しています。しかしそれも破綻寸前です。

 弟は旅行会社のガイドですが、母の介護に専念しています。

 母の介護をめぐって姉と弟の意見は違いました。

 弟は父の職業であった船大工に憧れているのはわかりましたが、それを職業にするかどうか不明です。水郷都市も今は昔と描いていました。

 中国は経済的にも軍事的にも米国に次ぐ大国になっています。そんなことは全く描いていませんが、それを意識しながら、今はもう帰らない郷愁を描いていると思いました。