「地方と政治」何を見ているのだろう

 全国の有力地方紙12社で作った「日本地方紙ネットワーク」の第7回フォーラムが「地方と政治」をテーマに行われたと、10月16日の神戸新聞で特集していました。その内容を読んで、これが「社会の木鐸」か、体制と戦うジャーナリズムとはこの程度かと、情けなくなりました。
 中央政府の地方支配を支配する有力な手段である、自治体への天下り問題は一切取り上げられていません。こんなことにいつもこだわっている私は「頭がおかしい」人間でしょうか。
 しかし今日は、この問題についてこれ以上踏み込まずに、この紙面で報道されている基調報告や各紙記者の発言をざっと見た印象を言うことにします。
 まず基調講演が総務政務官という政府与党の中枢部からお話をいただくとは、初めから腰砕けではないか。しかも「国の借金900兆円よりも、市の公金横領500万円」に現実感がある、といわれ、それが「主権者としてしっかりしなければ」と言う雰囲気を作る、言われています。より重要な本質的な問題よりも、親近感を感じる問題を報道しろと、まるで報道管制を敷くような、愚民政策を言われています。
 また、各新聞社の記者の発言も、関西広域連合を「地方分権の突破口」(京都新聞)「浜松市は都市部から過疎地まで広域な市域を抱えて『持続可能な都市経営』に取り組んでいる」(静岡新聞)という無責任な発言をする。「消費税率を何パーセントにするべきか」(静岡新聞)「地方紙の視点で政策の勉強」(新潟日報)というに及んでは、新入社員の記者が言っているのかと思いました。わずかに「シャッターが目立つ商店街に象徴されるように地方は疲弊し課題が山積みしている。こうした問題を脇に置いたような政局報道には違和感を覚えてた」(神戸新聞)が至極全うな意見です。
 現在、地方紙が言わなければならないのは、市町村合併の実態だろう。それに言及した記者の意見はない。知らないわけではないと思うが、そこを言わずして「地域に根ざした記事」など書けるわけがないと思います。
 まさにジャーナリズムの危機もここまで来たかという感が強くなってしまいました。