「復興への防災研究者からの提言」室崎益輝

[インタビュー]東日本大震災の復興にどう取り組みべきか 
 「前衛」6月号に標題のインタビュー記事が載っています。室崎先生は尊敬し信頼できる研究者のお一人ですが、ここでも東日本大震災の現状をキチンと踏まえ、そして分析されています。その上で今後検討するべき課題を明らかにしています。それぞれの分野の専門家が、何を考えなければならないか、非常に示唆に富むものです。
 是非、この記事全体を読んでもらいたいのですが、特に私が気づいたところを少し紹介します。
1.今回の被害の新しい特徴は何か―過去の経験にとらわれず特別の対応が必要
 阪神淡路大震災と比べるのは必要ですが「どこが共通して、どこが違うのかを頭に入れておかないと間違った対応につながります」そして本質的、原理的な部分はかなり共通するものがあり、それは「復興にあたってコミュニティ、すなわち人と人とのつながりが大切だということや、行政による被災者への財政的な支援をしっかりやらないといけない」しかし「具体的な個々の局面を見ると…初めての未経験のこと…過去の経験はほとんど役に立たない」といいます。
 阪神淡路大震災との違い
 第一に超広範囲、第二に被災自治体が完全に機能を失っている、第三に家族も家も財産も、根こそぎ奪われた、第四に広範囲に停電し固定電話・携帯電話が切断され、情報が完全に寸断された。さらに原発事故。
 そのことから「国の役割や責任が厳しく問われている」と。逆に言えば阪神淡路の時は自治体が機能していたということです。
医療・福祉サービスの遅れた地域を襲った震災
 このことは「深刻さがぜんぜん違う」「こうしたことは東北地方のインフラ整備の後進性に関係」し、前はお金の支援であったが今回は「緊急に必要とされたのは物だった」「集団的に他の場所に一度は移転しないといけない」という事態です。
 ボランティアの問題も、自治体が機能しなくて当初はうまくいかなかった。私も受け入れがないと、それはうまくいかない、と思っていた。しかしとんでもないボランティアは「行政にとって迷惑だった。しかし被災者にとってはちっとも迷惑でなかった」という指摘は、目から鱗です。
被害の規模は数倍、支援のスピードは数分の一
 全体的に見ると「例えば4倍と4分の1だったら16分の1」であり「病気で亡くなる人の発生する速さは、阪神に比べようもないくらい早い」。それを「原発が被災者を見えなくて隠してしまう」こと。この指摘も、現在のマスコミ等が流す情報を、どのように意識して見るべきかを教えてくれます。
2.被災者支援の緊急施策を進めつつ復興計画の議論を急ぐべき 
 まず「まだ応急対応、緊急対応が一ヶ月たっても進行形」とそれがまったく遅れている状況であるということです。その上に立って、
住まいも大切だが仕事が大事、教育・福祉と一体に 
 それは「人間としての尊厳に関わる問題です」「コミュニティ単位で、仕事を考えて移住先を決めていかないと」という視点で応急対応が求められます。
 しかし、そうなっていない状況も見て、阪神淡路の経験から「仮設に入っていない人は全部振り落とされ」るから「被災者の支援台帳」がいるといいます。
生活と住宅の再建、まちの復興は「被災者の声を集めて、被災者同士が議論して、将来の目標を決めるべきです」個人的な思いと断りながら「被災地でもう一度、安全で快適な、誇りになるようなまちをつくろう」「防災的に言うと、元の場所にすんでも安全なまちはできる」「いかにして昔の仕事が早くできるかが重要で」「仮設の市街地を造る」仮設の病院、仮設の役場もあるような仮設のまちにみんな戻ってきて、そこで「復興計画の議論をみんなでする」「全体をプログラムして、どういう形で復興を進めるのか、計画を今すぐにでもつくらなければいけない」
 今回は住宅再建だけではだめで、本物の生活再建支援、生業再建支援の法制度が必要といいます。
3.復興をいかに国をあげてのとりくみにするか―震災は国土・社会構造のひずみを顕在化した 
 ひずみとは何か。「国土一極集中」「漁業・農業が粗末にされる社会」「過疎地にエネルギーの原発・火力が集中立地され、第一次産業、中小企業・地場産業は疲弊するが、輸出大企業ばかりが大きくなる」だから被災地だけではなく「日本の国の再建・復興を視野に置かないといけない」が、そうすると被災地が消えるから「まず被災地をしっかり応援をして、日本の国はこうあるべきだという姿を、みんなで支える国だという形を見せないといけない」という手順も示す。
 ハードだけに頼らず、ソフトが重要であり、しかも「防災だけを考えたらとんでもない町ができる」「復興の主体は被災自治体であり、被災者自身」「上から一方的に、復興計画を共生することがあってはならない」「日本が新しく生まれ変わるための試練であり試金石でもある」と結ばれています。
 必ずしもきちんと整理されたものになっていませんが、共感するところがたくさんあるお話です。阪神淡路では「復旧は早く、復興はゆっくり」という主旨の文章を、私は書きましたが、今回はそれ以上に復興が困難であることを踏まえても、先生の言う「仮設の市街地」という考え方に賛成です。
 しかし現行制度に縛られたままであると、それは出来ません。阪神淡路では自治体が復旧復興の責任を負いましたが、現実の政策は国や財界の意向の中からの選択であったと思います。多くの批判を浴びながら、日々の生活と大災害からの再建が進んでいきました。被災自治体の末端にいた者として、忸怩たる思いはあります。
 だから少しでも、被災者と被災自治体が助かることを考えたいと思います。
「被災者に寄り添い、悲しみを共有し、復興に向かう力を―『社会的悲哀』を社会全体で受け止める救援・復興を」
 同じ6月号に野田正彰先生の標記の話も載っています。
 はっきり言って、私は野田先生を信用していません。第一に彼が神戸市外大にいたときに労働組合を拒否したということを聞いています。労働組合を批判する人は受け入れられても、否定する人は信用できません。しかも阪神淡路における様々な論文でも事実を踏まえた分析なのか疑問も持っています。
 今回のお話でもそうです。「避難所の運営は総じてスムーズに行われている」「職員自身が阪神中越でのボランティアの経験」があって、うまく言っているという評価です。室崎先生と見方が違いますが、それよりも、それが職員の経験の上にあるというのがおかしい。東北の自治体職員がそんな「経験」をもっているとは思えません。
 阪神淡路の時は「1週間後には、建設省と神戸市があらかじめ作成していた区画整理案が提案」とまったく事実にないことをいっています。
 後はどこの大災害でも使えそうはお話でした。