レッドパージによって、職場を追われた人たちが国に対して名誉回復と損害賠償を求めた裁判の判決が、5月26日神戸地裁であった。
矢尾和子裁判長は原告3人の訴えを棄却した。
判決に先立って神戸新聞では「このままでは死ねない」というコラム(5月22,23,24日)を書いた。原告が神戸市在住ということもあるが、非常にいい記事だ。ほとんど伝わってこなかったレッドパージの被害者の言葉がある。
原告は大橋豊(81)川崎義啓(94)安原清次郎(90)と当然のことだがいずれも高齢だ。同じ様なその被害者は兵庫県内で865人、全国では1万数千人といわれる。家族も含めるとそれは二倍三倍になる。
1950年当時、彼らは前途に希望を持った青年であり、家族に責任を負い、しかも平和を願い、世の中を良くして行こう、職場の悲惨な状況を改善していこう、という意欲を持った人々だ。それを国家権力は押しつぶした。
このコラムから彼らの言葉を拾ってみる
「労働組合も共産党も何もしてくれなかった。われわれの存在はタブーとされた」「生きているうちに国と企業の謝罪の言葉を聞く」「破壊活動への関与など一切なかったのに、『アカ』のレッテルを貼られ、普通の市民生活を送ることも許されなかった」「人には思想信条の自由がある。それを踏みにじった国は許せない。一言でいい。謝ってほしい」「金じゃない。名誉と尊厳を取り戻したいだけだ」「私たちには、もう時間が残っていないんです」
また大橋さんの同僚で同じく解雇された18歳の青年、高校を卒業後、働きながら京都大学法学部の夜間に通っていたが、共産党員でも組合役員でもなかったが、活動家と見なされた。解雇直後に自殺した。
そんな彼らの一方で、1952年「公職追放令廃止法」が制定されて、戦犯であった政治家、官僚、財界人たちが職場復帰する。戦後の日本の主流に彼らが座っていく。岸信介や正力松太郎は、その典型だ。
神戸地裁は「GHQの指示に従う義務があった」というが、このあまりにも違う取り扱いに対して、なんら言及することはない。明らかに憲法を守ることよりも国家を守ることに固執する判決だ。
記事は「これは過去の問題ではなく現在・将来の問題だ」という明神勲北海道教育大学名誉教授のコメントを紹介している。大橋さんは「今回の敗訴は成功に向けた第1歩」という。6月9日、大阪高裁に控訴した。
レッドパージ後の彼らの人生と家族に対する国の責任は明らかだ。そして戦後日本を清算するときに忘れてはならない問題だ。
国を相手にしたから、神戸地裁は厳しい判決を出した。もしかしたらなんでも良いから神戸市を相手の訴訟なら勝てたのではないかな、ふとそう思った。