社説の「TPP参加」

 11月12日、野田総理が、その前日にTPPに参加するという態度表明したことについて、すべての全国紙がその評価を社説に載せた。若干のニュアンスの違いはあるものの、すべての全国紙が「よかった」という。しかし[神戸]は対照的に疑問を呈している。おそらく心ある地方紙は、そういう立場ではないか。
 それらの中身については、後で述べたい。その前に別の観点からTPPを論じた記事を紹介する。
外から見ればよくわかる
 短期間だが、日本の政界やジャーナリズムは、TPPは重要事項であると国民に訴えた。その一方でニューズ・ウィーク(11月23日)に「本質なきTPP論争の不毛」という記事が載った。
 TPPは、参加してもしなくても本当はたいした問題ではない、といい、それを大仰に騒ぐのは現実の重大な問題から眼をそらし、それを解決できない無能な政治家たちが「自分の存在意義」を疑われないようにしただけだ、という。
 その根拠は、例え入ったとしても日本は米の自由化などしない、入らなくても日本の重要な輸出産業の関税は十分に低い、そして国外では日本の参加については誰も重要視していない、というものだった。
 その指摘は、主要なTPPに賛成する新聞やテレビ、政治家などからは聞けないものだ。
 そして「今起こっているのは政治の崩壊だけではない。メディアも含めた社会全体の合理的な思考や知性の崩壊だ。その責めを負うのは誰か。政治家だけではない。我々全員だ!」と締めている。
本質は、なぜその問題を持ち込んだか
 これはTPPに「日本が参加する」という態度表明に対する鋭い批判である。この視点で、社説を読めば、その愚かさがわかる。そもそもこの時期に、対処するべき重要な問題をすべてほったらかしにしている、政治の責任者の態度は、売国的である。
 これを突然持ち出した菅前首相の本質的な無責任性が問われるが、NW誌の記事が言うように、その無能な政治の責任を負わされる国民の多くは「わからない」という態度表明をしている。決して「乗って」はいない。
 TPPに反対賛成、中身の検討や説明、という前に「オバマ大統領への配慮」という動機がすべてを物語っていると思う。しかし、それに言及した社説はない。
新聞社の傲慢
 [読売][日経]は言うに及ばず[朝日]も「毎日」も野田首相の参加するという表明に賛意を示している。しかし「ほとんどの国民の理解が広がらないままの見切り発車は残念だ」と[朝日]はいうが[毎日][読売][日経]にはその視点はない。民主主義とか国民主権に対する敬意がまったくない。国民は何もわからないから、その意向を尊重する必要がない、と思っているのだろう。
 それは新聞社自身が真剣に国民生活を考えていない、国民を信用していない、という反映だろう。
[朝日]「毎日」の知性の崩壊
 [毎日]は「日本農業が壊滅する」[健康保険制度が崩壊する]という、当該団体の意見に対して「被害は局所的」という。農業や健康保険制度は国民生活に欠かせない。それを放っておいて、なにを「貿易自由化による消費者の利益は生産者のマイナスを上回る」「その利益は薄く広い」というのか。
 米の日本社会おける、その重要性をまったく理解しない見識は、知性を疑わざるを得ない。「TPPに参加しなければ日本の米作は再生できるのか」「米価が下落しても、個別所得保障をバラマキから農地集約の方向に転換すれば、日本のコメ農家は保護できる。競争力が強化され本格的なコメ輸出も展望できる]というに及んでは、新聞の無責任性だけしか見えてこない。
 戦後の一貫して食料自給率の低下に対する、自らの責任をかけらも感じていない者の言う言葉だろう。
 [朝日]は、その点で実に慎重だ。農業の衰退や地方、公的保険、金融の危機感について「杞憂とも言い切れない」という。この分野で譲歩を迫られても「安易に請け負ってはならない」とまで言う。それなら何故参加を評価するのかわからない。
 唯一「ヒトもモノもカネも国境を越えて行き交う時代に、論に加わらずにいるのは難しい」ということだけだ。それはNW誌の論調が指摘する「事実」に反し、「知性の崩壊」だと思う。
[読売][日経]のゴロツキのような無責任
 [読売]は農業分野の市場開放が焦点であるというが、その対応を「農地の大規模化や、生産性向上を計画的に図っていかねばならない」という。これまで出来なかったことを、どうすれば出来るということもなく言うのは、無責任の極致だ。
 [日経]にいたっては、あらゆる困難を排しても、日本にとって自由貿易が重要というが、「米国とも渡り合いながら、アジア・太平洋の通商ルールづくりを主導していく」「世界貿易機関交渉は米国の熱意が冷めて迷走状態に陥った。TPPをその二の舞にしてはならない」とはしなくも「自由貿易」とは米国の意向に沿ったものであることを繰り返し述べている。
 こういうジャーナリズムを亡国の使徒と呼ぶのだろう。
[神戸]だけが中身に踏み込む 
 NW誌が言ったことを具体的にする。米国の関税は「テレビは5%、自動車で2.5%にとどまる。為替相場が数円ほど円高ドル安に振れれば相殺される水準」。日本は「コメは778%、乳製品は360%」の高関税だ。医療や保険の分野も、米国は狙っている。野田首相は「医療、伝統弁か、農村は守り抜く」というが、この程度の情報も国民には伝わっていないし、他紙も積極的に言わない。
 [神戸]が言う「国内農業の再生への道筋をつけることが、日本のTPP参加を検討する大前提だ」はもっともな話だ。しかし野田政権にはそれを真面目に考えている気配はない。
連合は賛成、全労連は反対
 連合はTPP参加に賛成ですが「国民的な合意形成への道筋を示すことが大きな問題」という。しかし「わが国の持続的成長と雇用創出に資する政策・制度の実現に全力で取り組んでい」というのなら、「国民的な合意」を言う前に、TPPの中身の検討を明らかにしないのは、どうなのか。
 全労連は「TPPは、自らのルールを日本に押し付ける米国の意図がきわめて明確で、海外依存を強める日米の大企業にとって都合が良い一方で、圧倒的な日本国民には耐え難い犠牲を強いるものである」と明確な批判をしている。
 労働組合の意見が分かれていると見るのか、濱口圭一郎さんの言うように「労働組合の立場としては最大公約数であるのは確かなところでしょう」と見るのか。少なくとも連合だけではなく全労連の意見も載せるのが「労働組の動き」を紹介する姿勢で、しかも「最大公約数」ではなく「多数派」というべきではないかなと思う。
 濱口さんは立派な見識を持つ労働法制の学者であるが、労働組合に対する姿勢には、そのブログでも、なんだかなと思うことが多い。