12月例会『木洩れ日の家で』

 12月16,17日。今年最高の参加者でした。850名、その半分がシニアというということで、その方々のおかげで財政が少し好転しました。ありがとうございました。

 ところで、この映画は神戸での上映は3回目になります。今年の初めにシネリーブルで、2度目は11月にパルシネマです。おそらくそのときも、そこそこ観客動員があったと思います。それにもかかわらず、市民映画劇場にも大勢のみなさんに来ていただきました。それはなぜかを考えてみました。
 何度上映しても見たいと思う映画はあります。例えば『ローマの休日』やチャップリン黒澤明などはそういう映画です。古典的名作と呼べばいいのでしょうか。ルキノ・ビスコンティもそうです。しかし、この映画をそれらと同列には扱えないと思います。
 この1年間で、この映画が3度上映され、最後の市民映画劇場も大成功したのは、この映画の持っている魅力です。メジャー系ではないですから、宣伝がいきわたっているということではなく、おそらく見た後の口コミ宣伝がすごく良いのではないかと思います。それが人を動かしているということでしょう。
 市民映画劇場で言えば金曜日見た人が近くの人に、是非見るように感想を言ったのではないかと思います。


 この映画を見た人は、どこに魅力を感じたのでしょうか。それは端的に主人公そのもの、彼女の生き方でしょう。
 簡単に映画の紹介をすると「91歳の老女が古い家に一人で住んでいる。思い出が一杯詰まったこの家を非常に愛していて、いつか息子と住みたいと願っている。しかし息子は、この家を隣の金持ちに売却しようとした。それを知った彼女は、この愛する家を反対隣の子どもの音楽学校に寄贈する遺言書を作った。」
 強い自立心と強情な自己主張、それは健康の証拠でもあります。階段を走って電話に飛びつく姿は、老いを感じさせません。犬だけが友達のような日常は、彼女のこれまでの生き方と、同年代がすでに死亡しているということもあるでしょう。それでもユニークです。
 映画ではこの犬が非常に面白く、「犬だって人間だ」と思います。

 そして、最後に自分の愛した家を自分ひとりのものにするのではなく、未来を生きる子どもたちに残そうと思ったときに、私にはこの古い家が生き返ったように思います。映画ではラストシーンで静かに息を引き取った彼女の魂が、天に上るかのように、家の周りの風景を見せ、さらに街全体を見せていきます。家に閉じこもる彼女の人生が開放されたように思いました。
 前半から後半へと物語の展開が小気味よく、人生の終幕を身近に感じている人々に、それは魅力的であったのではないでしょうか。
 11月例会『クレアモントホテル』も高齢者が主人公でした。そのときもシニア層の参加は多くありました。私も、そこに近づいている年齢ですが、『エンディング・レポート』がヒットしたことも含めて考えると、人生を終末をどのように自分自身で演出しようかと考える人、それに強い関心を持つ人が増えいるのだろうと思います。
 映画上映中の例会場の風景です。