2020年9月に見た映画

2020年9月に見た映画

シチリアーノ 裏切りの美学』『リトル・ジョー』『無垢なる証人』わずか3本だけしか見ることができませんでした。連休があったのにこうなったのは、それ相当の理由はあります。

 月末は旅行に行きました。その他の週末は稲刈り、映画学校、高畑勲展、喜楽館、友人との飲み会等で見事に埋まりました。10月はちょっと力を入れてみようと思います。

 見た映画は、それぞれに特徴がありました。

シチリアーノ 裏切りの美学』

 1980年代、実際にあったマフィア幹部の内部告発を映画化したものです。

マフィアの幹部であったブシェッタは、手打ち式の後、組織間の争いを避けてブラジルに住んでいましたが、内部抗争f:id:denden_560316:20201007011446j:plainで友人に裏切られ家族を殺されます。逮捕されてイタリアに送還された時に、マフィア撲滅に全力を挙げる判事の熱意にこたえて、組織内部の告発に踏み切ります。

映画の前半は凄惨な殺しの場面が出てきますが、後半は裁判の場面になります。

巨大な法廷で、逮捕されて檻に入れられているマフィア幹部と大勢の傍聴人に囲まれて、ブシェッタは証言します。「裏切り者」という罵声が飛び交う中で、時には相手と事の真実をかけて対決するシーンもあります。

裁判での対決はテレビのショーを見ているようですが、実際にそんなことをしたのだろうと思います。

マフィア撲滅の先頭に判事が立つというのも奇妙ですが、イタリアの司法制度はわかりません。後にこの判事は殺されます。

裁判の後は、証人保護プログラムに基づいてアメリカに移住しますが、執拗に付きまとう影があるように描きます。ブシェッタ自身も安心できずに銃を持って眠られる日を過ごします。

この映画はブシェッタに焦点を当て、「誇り高き男」を自認し、昔の仲間から「裏切り者」呼ばわりされても動じない彼の心情に寄り添いました。

マフィアの跋扈ばかりが強調される映画で、元大統領も絡んできます。イタリアはそんな国なのか、と他のイタリア映画とちょっとイメージが違ってきます。

『リトル・ジョー』

 面白いSF映画でした。

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バイオ企業の研究者アリスは、人工交配で生み出した植物「リトル・ジョー」人間の心を癒し、幸せな気分にしてくれる色と香りを持った花、それを育てようとしています。

花粉なのか、化学物質なのかははっきりしませんが、リトル・ジョーは人間に何らかの影響をあたえる能力を持っていると、何人かが感じ始めます。この花にかかわった人間に次々と異変が生じたのです。

しかし、その異変はリトル・ジョーのせいなのかははっきりしません。昔、心の病気を患ったベラが不安定になり、家に持ち帰っていたリトル・ジョーの世話をしていたアリスの息子ジョーが母親との距離を置き始めます。

この植物は不稔性としてつくられることが一つの鍵です。それは種子を作り出すことが出来ない植物です。自分の遺伝子を残すことができないためにリトル・ジョーは自分を守る力が異常に強い、という解釈が出来ます。

アリスが、リトル・ジョーが人間に良くない影響を与えているのではないか、と思い始めた時に、リトル・ジョーの花粉を吸いこんで、一転してリトル・ジョーが与える「幸せ」のとりこになります。それがラスト・シーンです。

リトル・ジョーに、最後まで好感を持たなかったベラは階段から転落し重体になりますが、その他の人々は、リトル・ジョーを愛し「幸せ」な気分を味わうのです。

見方を変えれば、人間性の少しの変化はあるにせよ、生活や人間関係に特段の変化もなく、美しい花を愛で、世話を焼く人々でしかありません。

上手な締めくくりでした。人間の「幸せ」はこのようなものだと言えます。そう感じられたら「幸せ」な毎日を送ることが出来るのです。

『無垢なる証人』

 市民映画劇場9月例会です。上映の後で、数人の会員から「とてもよかった」という声が出ました。私は未見でしたが「私もそういう評価ができるのか」と内心、心配しながら見ました。

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 で、どうだったかといえば、私としては物足りない映画でした。それはミステリー、法廷物の映画として検察や弁護士の描き方等で、見過


ごせない部分があったからです。

 老人とお手伝いさんだけが住む家で、その老人が自殺とも殺人とも判然としない形で死にます。道路を挟んだ向かい家にいた少女が目撃し、彼女の証言によって検察はお手伝いさんを起訴します。有罪にする決め手の物証がなく、アスペルガー症候群の彼女の証言だけが頼りの事件です。

せめて状況証拠と動機は検察がつくるものだと思いますが、それが弱すぎます。だから1審は無罪になりました。

 その一方で、多くの人が感動したようなところもわかります。一つは少女の描き方のやさしさ、もう一つは主人公の弁護士の揺れです。

彼は人権派の弁護士でしたが、父親の借金返済のために、意に添わぬ大企業の顧問弁護士事務所に転身していたのです。それが真実を求めて、事務所を切捨てて元の道に戻ってきた、という点です。

借金をつくった父親も善人ですし、正しい道、いい人間に戻った男を見るのも気持ちがいいものです。

さらに言えば、その戻り方が、アスペルガーの少女の能力を生かして、被告の弁護士が真犯人である被告の有罪を証明するという逆転劇が映画的には面白かったかな、と思います。

    私がご都合主義だなと思うのは実行犯のお手伝いさんの動機が起訴前はわからず、あとで彼女には病気の隠し子がいてお金が必要で、老人の息子に頼まれて殺人したということです。さらに大企業の顧問弁護士事務所が貧乏なお手伝いさんの弁護を引き受けるのも不自然です。

 でもそんな甘い点も含めて、感動を呼んだ映画でした。