2020年4月に見た映画

『暗数殺人』『世界で一番貧しい大統領』『私の知らないわたしの素顔』『テッド・バンディ』『われらが背きし者』『ホテル・ムンバイ』『アマンダと僕』『ダゲール街の人々』の8本です。
 14日で元町映画館が閉館となったので、ここまでです。兵庫県、神戸市のすべての映画館が閉館しました。
 「コロナ」のために楽しみを奪われていますが、生活基盤そのものを壊されている人たちがたくさんいますから、私があれこれ文句を言っても何の迫力もありません。
 世界中を襲うパンデミックは前代未聞の巨大な自然災害というべきものです。それを乗り越える人間社会であってほしいと願っています。 


『暗数殺人』韓国映画のミステリーの傑作でした。

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主演のキム・ユンソクが暗数殺人にこだわる刑事を好演しています。前に見た『1987、ある闘いの真実』での治安部捜査所長の悪辣ぶりや『天命の城』での貫禄ある大臣と違って、成績の上がらない、さえない刑事役ですが、悪人に食らいつく執念を感じました。

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殺人現場と思われる場所を発掘

これは事実に基づく映画で、犯罪を憎むこんな警官が活躍しているのなら、韓国社会の民主化は進んでいると感じます。
「暗数殺人」というのは、警察が認知していない殺人という意味です。行方不明者の届けがあっても死体が見つからなければ殺人事件とて扱われないし捜査もされません。
 殺人事件で有罪となった犯人が、キム・ユンソク扮するヒョンミン刑事に「警察に証拠を捏造された」と言い、被害者殺害の「本当の証拠」の隠し場所を教えます。冤罪でもないのです。そしてさらに「7人殺した」と告白しますが、それらは事件になっていません。
 ヒョンミン刑事はその殺人犯から少しずつ話を聞き出し、一片の言葉から被害者を特定し、殺人現場をさがし物証が出ないかと必死に捜査します。しかし有罪に持ち込めるようなものは見つかりません。
 上司からは「事件ではない」と冷たくあしらわれます。何度も失敗を繰り返し、犯人に嘲られ笑われますが、執念の捜査によってついに被害者を特定し、証拠を見つけだしました。犯人とのつながりも解明しました。
 さらに捜査は続くと、映画は終わりました。
 でも犯人狙いは何か、最後まで分かりません。連続殺人を犯す異常人格の犯人と執念の刑事の闘いは見事でした。
『世界で一番貧しい大統領』ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカさんのインタビューです。収入の9割を貧しい人に寄付し、トラクターで農場を耕す日々。この人がもと左翼ゲリラで軍事独裁政権と銃を持って戦っていた人とも思えない好々爺です。
 政策的には中道左派路線を取り、市場原理主義批判と反新自由主義であったと書かれています。貧しくともみんなが安心して平和に暮らせる国づくりを目指したのでしょう。
 ムヒカの誠実な人柄は出ていますが、そのあたりの政治は映画を見ただけではよくわかりません。
『私の知らないわたしの素顔』は複雑な人間、女性の心理を描く映画で、映像の力で面白く見てしまいました。ちょっと長くなりますが荒筋を書いてみます。

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 50代の女性、大学教授のクレールが、彼女の混乱している日常生活をカウンセラーに告白するところから始まります。演じているのがジュリエット・ビノシュですから魅力的です。
 年下の恋人に振られたと思った彼女は、その後の彼がどんなふうに暮らしているのかを知ろうと思って彼と同居する若い男とSNSでつながります。その時に彼女は若い女性を装いクララと名乗ります。後には姪の写真を自分だといって送ります。
 架空の若い女に成りすましながら、その若い男の気を引こうとしますが、まんまと成功します。若い男の気持ちを手玉にとりながら、自分も恋愛感情にのめりこみます。そしてついにはテレフォンセックスまでの関係を持ちます。
 若い男は会いたいといってくるが、さすがにそれは出来ず、待ち合わせの場所に行きながら素知らぬ顔をしています。
 そして関係を断ちます。しばらくして、その若い男がどうなったかを知りたくなり、元恋人に連絡を取ると、その男は事故で死んだ、と聞かされました。

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 クレールは罪悪感と自責の念に苛まれ、精神を病んでしまいます。
 そして心の再生のために、彼女は二人のことを小説に書きます。現実と違うのは、SNS若い女を演じながら、それと並行して、実際にも知り合い愛し合うという設定に変えます。そしてラストは彼女がSNSの女だとわかってしまって、今度は彼女が事故で死ぬ、という物語にしていました。
 若い男が死んだ、というのは嘘でした。元恋人はクレールの仕業に気づいていたのです。若い男は別の女と結婚して子供もいました。カウンセラーは、それをクレールに告げ、罪悪感を持たなくていいといいました。
 クレールが楽しそうに電話をするところで映画は終わりました。彼女は誰に連絡しているのかわかりません。
 映画は、彼女の別れた夫との関係、彼が彼女の姪と再婚していることや彼女の大学での講義の様子も描きます。複雑な人間関係からクレールが何を望んでいるのか、ぼんやりしたものしかわかりません。
 でも彼女は別の人間になりすます危険な遊戯にはまったと、私は思いました。
『テッド・バンディ』は実際にあった米国の連続殺人犯をモデルとした映画です。映画の主演男優もそうですが、実際の犯人も顔、姿かたちも頭もよく弁舌もさわやかで、女性を虜にする男です。ほとんど行きずりと言っていい女性に巧みに近づいて、ためらいもなく犯し殺しました。
 彼の妻は混乱しながらも、夫が犯人だと認めています。しかし彼に愛情を示す女もいたと映画は見せます。彼女はテッドを無実だと信じているといいますが、それはないだろうと思いました。そして裁判中に子供を宿します。
 また彼の裁判を傍聴に来た見ず知らずの女性は「魅力的な男だ」といいます。女は危険な殺人者とわかっていながら、こんな男だからこそ惹かれるのかもしれません。
われらが背きし者は、ロシア・マフィアの資金洗浄係と、そうとは知らずに知り合った英国の大学教授と弁護士の夫妻が、この危険な男の一家が英国への逃亡を助ける映画です。
 マフィアに追われながら、マフィアに買収されている英国の閣僚の証拠を諜報機関に届ける、という説明するのもややこしい映画です。
『ホテル・ムンバイ』はインド、ムンバイの最高級ホテルに自動小銃と手榴弾をもって押し込んできたイスラム原理主義に洗脳された、少年のような数人のテロリストが、無抵抗な人々を殺しまくる映画です。見ていて気分が悪くなります。
 実話ですから仕方がないのですが、ホテルマンも宿泊客もほとんど抵抗もできずに殺されるし逃げ惑うだけです。
 テロリストたちも銃の扱いは訓練されているものの、いちいち電話で指示を仰ぎながら行動しています。彼らは異教徒によってすべてを奪われたから貧しい生活に貶められているを信じ込んでいます。そして異教徒は人間ではない、と教え込まれています。
 意外なのはムンバイは人口1200万に大都市なのにテロに立ち向かう警察組織がなかったということです。はるか離れたニューデリーからテロ対策部隊がやってくるというお粗末ぶりでした。
 インドはそんな国なのかと思いました。軍隊は国内の治安維持には使われないのです。
『アマンダと僕』はフランス映画です。これまたテロに殺された姉に代わってその娘、姪を育てていこうと決心する男の話です。娘はまだ小学生ですが、彼女が悲しみを超えて生きて行くのが健気です。 
『ダゲール街の人々』アニエス・ヴァルダのドキュメンタリーです。フランス映画界を代表する監督である彼女の生活圏の街、そこに住んでいる人々、商店や買い物に来る人々を撮影します。
 1975年のパリの下町でしょう。