『わたしは、ダニエル・ブレイク』『太陽のめざめ』

標記の2つの映画を並べて短い感想を描きました。読んでください。
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新自由主義と社会的欧州 
 この二本は、現代の英国と仏国の福祉施策の違いを描きました。ケン・ローチ監督は痛烈に批判し、エマニュエル・ベルコ監督は守り続ける強い決意を示しました。
公務の効率化
 『わたしは、ダニエル・ブレイク』は英国社会の底辺を生きる人々を描きます。

ダニエルは妻と死別し一人暮らし、大工として働いてきましたが、年をとり心臓病を患い医者から働くことを止められます。生活給付を受けようと役所に赴きますが、給付プログラムで「働ける」と判定されました。求職活動をしないと給付金は受けられない、と通告されます。
 彼を審査するのは公務員ではなく、給付業務を受託した企業の社員です。彼らは決められたことを決められたとおりに適用します。ダニエルの状況に応じた対応をしません。
 ダニエルは、彼と同様に生活給付を受けようとする、二人の幼い子供を抱えたケイティと知り合います。彼らは協力し、生活を支え合いますが事態は厳しくなっていきます。
 ダニエルは役所に窮状を訴えます。しかし冷たい仕打ちにキレて、壁に大きく批判の落書きをしました。
 「ゆりかごから墓場まで」と評された英国の福祉は「鉄の女」サッチャー政権以降、改悪されます。公務の民間化も進められ、政治も行政も失業者や貧困層に向き合いません。人間の尊厳を守るより自己責任を追求しました。
不幸少年を包む
 『太陽のめざめ』は、犯罪と暴力的行為を繰り返すマロニーと彼を取り巻く人々を描きました。

彼が何度も暴走するので、見ている者は「ええかげんせえよ」という気持ちになります。しかし判事も教育係のヤンも「彼には可能性がある」と言い続けました。
 刑務所に入れられて「ママに逢いたい」と泣くマロニー、彼の精神年齢は幼く、素行や身体とアンバランスであることを見せました。
 そんな彼が、少女と恋をして子どもを授かるところで、映画は終わります。
彼を見守ってくれた判事は退職しました。マロニーは更生して働くのか、若い二人は子どもを育てることが出来るのか、そんな不安がよぎります。
 映画のラストシーン、マロニーが去った後、裁判所の玄関でトリコロールが燦然とはためき続けます。国家がしっかりと子どもたちを見守る、という決然とした姿勢を感じさせました。
 英国は国民投票でEU離脱を決め、仏国は大統領選挙でEU残留を確認しました。新自由主義を進める英国、困難でもEUが掲げる社会的欧州を独逸と協力して進めようとする仏国が見えました。