2020年2月に見た映画

『コンプリシティ/やさしい共犯』『ジョジョ・ラビット』『イエスタディ』『テルマ&ルィーズ』『パリの家族たち』『マッキー』『ザ・バウンサー』『黒い司法0%からの奇跡』8本でした。

 「コロナ」のお陰で最終日の予定がとんで映画を見ることができて8本になりました。その時に見た『黒い司法』がよかったです。

『コンプリシティ/やさしい共犯』は西神ニュータウン9条の会HPに書きました。中国からの技能実習生と老そば打ち職人という、あまり出会うことのない二人のそこはかとない心の通い合い、どうしようもない現実が描かれます。

ジョジョ・ラビット』は第2次世界大戦下のドイツ、ナチス・ドイツに心酔する少年ジョジョが主人公です。ナチスの少年団に入りますが、野外訓練で失敗ばかりの気弱なジョジョを励ますのは心の中のヒトラーです。ところが彼の両親は反ナチスで家の隠し部屋にはユダヤの少女を匿っていました。

敗戦が近づき、無邪気だったジョジョナチスの残酷さや戦争の悲惨さを感じます。彼は普通のドイツ国民の象徴のようです。

『イエスタディ』ではビートルズの音楽がいかに素晴らしいか、再認識しました。映画はビートルズが存在しない世界で、一人ビートルズの曲を知っている、英国の田舎の売れないシンガーソングライターのジャックが、ビートルズの曲を歌って世界中で大ヒットをとばすというコメディです。

f:id:denden_560316:20200309003852j:plain

 映画『アマデウス』を見たときは、それまでの宮廷音楽とは全く違うモーツァルトの天才を感じましたが、ビートルズも天才だと感じました。

テルマ&ルィーズ』は1991年公開と20年近く前の映画。米国は人種差別もひどいけれども、男女差別も歴然としてある。テルマとルィーズというちょっと内気な女二人が自動車で田舎へちょっとした旅行に出かける。浮かれてアルコールも入って羽目を外したために、酒場の駐車場で、テルマがレイプされそうになったので、相手の男は拳銃で撃ち殺してしまった。

 そこから彼女たちの暴走が始まる。殺人と強盗で字部氏機の部分もあるのだが。彼女たちの最後はどこか清清しい。今まで押さえつけられてきた思いが一気に解放されたまま死んで行った。

『パリの家族たち』は2月例会です。アフターシネマと言って映画を見た後で、感想など話し合う場を会場内で持っていますが、今月はたくさんの人が来てくれました。人間関係がわからない、というのが大きな理由です。

日本人から見たら白人や黒人は見分けるのが難しいです。それにこの映画は脈絡もなく2,3の家族の話を混ぜていますから、余計に分かりにくくなっています。でも話してみたら「ああそういうことか」に落ち着きました。

フランスの比較的上層階級の母親を中心とした家族の映画でした。

『マッキー』はインド映画、悪人に殺されて蝿として生き返った若者が、恋人に言い寄る悪人に、蝿の能力をフルに生かして戦いを挑んでいきます。CG等の特撮をフルに活用した娯楽映画です。

f:id:denden_560316:20200309003925j:plain

前半は恋愛映画の流れかと思ってみていたら、蝿に転生してからはアニメギャグ漫画になりました。歌って踊ってだった映画大国インドもこういう映画が主流になるのかも。

『ザ・バウンサー』は、老年期に入ったジャン=クロード・バン・ダムが主演のアクション映画。私はこの人のファンなので見てしまいました。娘を連れて欧州をさすらっていると言う男(クロード)が偽札つくりの用心棒に雇われるのだが、同時にその犯罪組織をねらう刑事の手先にもなるという、ちょっと複雑な立場。結末は表も裏もひっくり返ってぐちゃぐちゃになると、けれども彼だけは生き残ったと言う映画でした。

f:id:denden_560316:20200309003906j:plain

『黒い司法 0%からの奇跡』は、1988年に米国アラバマ州で実際にあった人種差別と冤罪の実話を基にしています。死刑囚を援助する法律事務所を、北部から来た黒人弁護士が立ち上げます。最初に、この時代でも堂々と黒人差別があるということを映画は見せます。弁護士に対して、しかも刑務所と言う公務員、あるいは警察官も暴力的、人権侵害の差別をすると描きました。

f:id:denden_560316:20200309003830j:plain

そして本筋の冤罪事件。こちらはまった身に覚えのない殺人犯にされた男、黒人の潔白はすぐにわかります。まったく物証がなく、いい加減な司法取引による「嘘の証言」による死刑判決だということが明らかになります。再審請求がなされ、その法廷で「嘘の証言」をした男が嘘だったいい、当時、事件を担当して冤罪だと言って首になった警官も、真実を述べます。しかし裁判所は再審を認めません。

しかしマスコミ報道を通じて米国全土に、この酷い冤罪事件を知らしめることによって事態は動きます。

「0%からの奇跡」とか「立証不可能な冤罪」とか映画のコピーはいい加減です。これは米国の根強い人種差別が警察、検事、裁判所にもあり、南部ではそれを市民が支持していると言う意味での困難さを言うものです。

事件自体は杜撰な捜査と人種的偏見によってでっち上げたもっと悪質な冤罪です。

日本の冤罪事件と同様で、被告人が無罪である証拠があっても警察や検察は出さない、裁判官は認めない、証人も呼ばないという司法が明らかになります。

しかし米国では、さすがに小さな町では押さえられても州全体の問題となれば「正義」は通用する、と言う映画でした。