2020年10月に見た映画

10月の映画

『マーティン・エデン』『ある画家の数奇な人生』『ラスト・ブラックメン・サンフランシスコ』『ミッドナイトスワン』『パパは奮闘中!』『オン・ザ・ロック』『スパイの妻』『終着駅』『かぞくのくに』『0.5ミリ』『百円の恋』11本です。

映画サークル創立70周年記念例会「秋のサクラまつり」で安藤サクラ主演の映画を結局3本とも見たので数が増えました。この3本はそれぞれ監督も違うし、安藤サクラの違う魅力を出しています。私が感じる彼女の魅力を、そのうちに書いてみたいと思います。

その他は、突っ込みたい映画はあっても「良かった」というのはなかったです。でも長い感想になりました。

『マーティン・エデン』

 米国文学の人気作家ジャック・ロンドンの自伝的小説の映画化です。彼は『野生の叫び』『白い牙』など動物小説や冒険小説、SFなども書いています。エンターテイメント系の作家ですが、この映画では小難しい理屈をこねる純文学系の作家のように描かれています。

 教育を受けていないマーティン、工員や船員等の肉体労働で生きている最下層の男が、ひょんなことから上流階級のお嬢さんと恋をして本を読み始め、その面白さに惹かれて小説家になろうと決意します。

 コンクールに応募して何度も落選しますが、とうとう小説家になって成功します。

 上流階級の人々とは合わない面もありますが、成功してお金持ちになります。でもそれで幸せになったか言えばそうではない、という結末でした。

 貧しい労働者で、しかも頭がいい。みんなの前で演説します。デモやストには賛成しますが、労働組合には反対です。「ボスが変わるだけだ」といいます。無政府主義ですかね。

『ある画家の数奇な人生』

 ナチス時代に生まれた少年が、現代美術の一流画家となるまでの人生を描いた映画です。

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2次世界大戦を生き抜き、東ドイツで育って、画家を志します。結婚して将来を嘱望される画家となりますが、西ドイツに亡命して自由な作風を作り上げて独自の地位を占めるようになりました。

 モデルがいますが、虚と実を混ぜ合わせた物語にしていると書いてあります。

 ナチス時代にピカソなどが「退廃美術」と否定され、戦後の東ドイツ時代は「社会主義リアリズム」が最高のもので、それ以外はダメと言われます。ここは対比的ですが、芸術に政治が介入するのは醜悪だと見せます。

 ソ連服従していた国の矛盾は芸術にも及んでいます。東ドイツは、スポーツも含めて高い水準の文化、芸術、芸能を作り上げましたが、根底にはタガをはめています。

そして西ドイツ時代に悩みぬいて新しい作風を打ち立てた作品が、高い評価を得ます。

彼の人生はナチスの影がつきまといました。ナチス下の幼少時に彼の叔母が精神異常で収容所へ、そして「処分」されます。その時の医者が、彼が結婚する娘の父親でした。お互いに、それに気づくことないのですが、反発を強めていきます。

戦後、いわばナチスの戦犯であった、この男がソ連軍高官の妻を救ったことで、過去を隠蔽して東ドイツの中で高い位置を占めることになります。東ドイツ批判も強烈です。

ナチス東ドイツを強烈に批判しますが、西ドイツとその後の統一ドイツでは自分の能力を発揮した、という映画でした。

『ラスト・ブラックメン・サンフランシスコ』

 サンフランシスコの高級住宅地に住むことを夢見た黒人の映画。

米国は地区計画などで貧困層が買ったり住んだりできないように一定以上の宅地規模を規制しているので、高級住宅街には黒人は住めなくなっています。

 統計調査によると収入水準は黒人も上がってきていますが、資産を比べると、まだ10倍ほどの差があります。財産の中心は住居です。

 この映画は、サンフランシスコの今では高級住宅街になった家を、祖父が建て、そして住んでいたと信じ込んでいる黒人が、不法侵入する話です。魂の故郷のようなあこがれが何度も語られますが、最後は、それは思い違いだったと明らかにされます。

見ていて、貧しさゆえの黒人差別は感じますが、それ以上に何があるのかわかりませんでした。

『ミッドナイトスワン』

 草彅剛主演。彼が性同一障害のトランス女性、渚沙を演じて一部では高い評価もあるようですが、例会で『ナチュラル・ウーマン』を見ていますから「ちょっと違うのでは」という印象です。

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 何が違うかといえば彼女の自尊心です。

 渚沙はニューハーフクラブで働き、お金をためて性転換手術をしようと思っています。そこへ子育て放棄の母親と引き離された親戚の中学生の女の子、一果を一時預かるという展開です。二人は母子のような感情を持つようになります。

一果はバレエの才能があり、世界に羽ばたくのですが、渚沙は手術を受けたものの後のケアが出来なくて死んでしまいます。

自尊心は自立と思いやりです。渚沙は、思いやりはあったものの、トランス女性は一般的に厳しい生活環境になります。それに対して周到に自立していく用意がなかったということです。簡単に言えば、大金を稼ぐ覚悟、ギリギリのところで助け合える仲間がいないのです。それは社会の側の責任でもあるのですが、寂しく死んでいく姿を描くのは、彼女たちの自尊心を貶めているように感じました。

家族の映画、という評価もあるようですが、もしそれを狙っているとしたら浅はかです。

『パパは奮闘中!』

 映画サークルの10月例会でした。西神ニュータウン9条の会HP11月号にも紹介を書きましたが、それとは違うことを書きます。

 妻に家出されたオリビィアは、職場をやめて労働組合の専従職員なるために、子どもと相談して「多数決の結果」で、そう決めます。

 上の子に「多数決は素晴らしい民主主義の制度」といいました。

 私は「馬鹿か」と思いました。労働組合の役員はこのように考えている、という批判と受け止めました。

 本当に重要なことは多数決で押し切るのは民主主義ではない、と思います。父親の仕事は、子どもにも大きな影響を与えます。この映画ではどこに住むかという問題に矮小化して、「出ていけばママが帰ってきた時に困る」という思いを子どもに与えるだけです。きちんと「おばあちゃんやおばちゃんにも言っているから、家を代わってもままはすぐに帰ってこられる」という説明をすればいいし、壁に住所を書くのは映画的に効果的だから、多数決ではなく、こうして問題を解決したという風にすればいい。それを民主主義=多数決のような説明をするのはダメだ。

オン・ザ・ロック

 ビル・マッケイが好きです。いい加減な老人役ですが、この軽さはなかなか出せないと思います。

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 娘が「夫が浮気しているのでは」とプレイボーイの父親(ビル・マッケイ)に相談します。彼は尾行して事の真実を探ろうと、夫が社用でいくパーティや出張先にまでも娘を連れまわします。

 結局、真面目な夫でした。妻が白人、夫は起業家の黒人。周囲の人間はセレブという上流階層の人間関係を描きました。

『スパイの妻』

 ベネチア映画祭銀獅子賞に惹かれて見に行きましたが、やはり「残念」という映画でした。私と黒沢清監督は合いません。でも七三一部隊を取り上げたことは高く評価したいと思います。歴史的事実ですから誰も表立って批判は出来ないと思いますが、森村誠一さんが『悪魔の飽食』を書いたときは、右翼が大騒ぎしました。

 今回はNHKが製作にかかわっています。

 貿易会社社長の福原(高橋一生)が満洲に行ったときに偶然にも関東軍が捕虜や敵国民を使ってペスト菌などの生物兵器を開発するために人体実験をしているという「国家的秘密」を知ります。

 彼はこの事実を米国に持ち出して発表するために行動を開始します。証拠は処刑された医者が記したノートと現場を映したフィルムです。

 福原の行動に不信を持った妻(蒼井優)に知られますが、彼女も巻き込んで米国への密航を企てる、という映画です。

 どこがダメかというと、時代の雰囲気が描かれていないと思うのです。時期は日独伊三国同盟締結ですから一九四〇年。欧州ではすでに第二次世界大戦が始まり、日本は中国大陸深く侵略戦争に突っ込んでいます。

 社会全体の先行きの不安、憲兵特高の怖さ、拷問の壮絶さ、そしてその裏腹の高揚感が伝わってきません。

 映画の冒頭に、取引をしている英国人商人が憲兵隊にスパイ容疑つかまるところから始まるのですが、割合と能天気なのです。旧知の憲兵隊隊長(東出昌大)を福原は冷たく追い払う感じです。

それと社員や憲兵隊員などの脇役があまりそろっていません。前述の3人が目立つだけで、全体的に薄い感じです。

精神病院に入れられた妻の「狂っているのは世の中だ」も浮いています。

この程度の映画でも彼が好きな人は好きなのでしょう。

『終着駅』

 そのすぐ後に見たのがヴィットリオ・デ・シーカこの映画です。1950年代のローマ中央駅で、不倫の関係の二人の心の揺れを描きました。名作といわれる監督の腕の冴えが画面から見えます。筋の運びよりも映像の力だと思います。

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 米国からローマに来た人妻が、短期間に美貌の青年と恋に落ちるが、それを振り切って米国に帰ろうと決意します。そして彼女を追って駅に来た男とのの2時間程度のやり取りです。

全く感動的な筋ではないのですが、荷物をもって見送りに来た彼女の甥、彼らを取りまく駅員、ふれあい、通り過ぎる乗客の様々な表情がとても生き生きとして効果的です。彼らが負う人生が垣間見える映像でした。

『かぞくのくに』『0.5ミリ』『百円の恋』

 この3本は安藤サクラの主演という共通点はありますが、監督も脚本家も違っていてかなり毛色の違う映画になっています。安藤サクラは、それぞれの役柄を演じ分けています。とても魅力的な映画に仕上げていました。

『かぞくのくに』は、在日の家族、社会を描きました。北朝鮮帰還事業で北朝鮮に行った兄が25年ぶりに帰ってきます。脳に腫瘍があるので治療をするために3か月の滞在が許されます。

それが1週間もしないうちに突如帰国命令がきました。治療も何していないのに、なぜどうしてという疑問を、誰もが持ちますが、兄はこの国では「よくあることだ」とあきらめて、北朝鮮に帰っていきます。

彼にとって日本は父母と妹がいる国で、北朝鮮は妻と子がいる、ともにかぞくのくにです。大事にしたいという思いは伝わってきました。

この映画では北朝鮮はとても理不尽な国だと描かれています。突然の帰国命令、そしてそれに質問や疑問も言えない国です。北朝鮮から来た監視役の男がホテルでAVビデオを見る場面も挿入されますが、国の制度として人間らしさのかけらもありません。

キネマ旬報20121位になり、その他の映画賞も多数受賞していました。安藤サクラは妹役で、やんちゃで聡明な女性を演じています。

0.5ミリ』

世の中から見放されたような老人を押しかけ介護する、へんてこな介護福祉士山岸サワをサクラが演じます。老人を織本順吉井上竜夫坂田利夫津川雅彦柄本明草笛光子が演じています。世の中から浮き出てしまった個性的で悲しい老人たちですが、一方ではたくましさもあります。

 居宅介護をしてきた家で、火事を起こして失業して「はなれ介護福祉士」となった山岸サワは、お金を持っていそうな老人に脅しすかしで、押しかけ介護で家に入り込みます。

 サワは料理も上手で有能な介護士です。彼らの生活は確実に向上しますが、いつまでもいることは出来ません。

 それぞれのエピソードがとても面白く楽しく描かれました。

 最後に最初の火事を起こした家の引きこもり娘(自殺した母親に男装され、聾唖のようにしゃべらない)と邂逅して、二人でどこかへ旅立つという終わり方です。

全体を通した主題はわかりませんが、そう言う見方に拘らす楽しむ映画です。

世渡り上手なサワと引きこもり少女が一緒に生きるのは不安なようで、うまくいきそうな感じです。

『百円の恋』

自堕落な30女のぶよぶよの体を見事にシェイプアップしたボクサーへと変身するサクラでした。

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 家族と喧嘩して一人暮らしを始めた斎藤一子は、百均コンビニでバイトし、ボクシングジムにいた男、狩野祐二(新井浩文)に一目ぼれします。

 彼女の周りはへんてこな人間ばかりです。自堕落で無気力な父、気弱でうつ病の店長、意地悪なコンビニ会社社員、お金を盗んでとんずらした店員、期限切れの弁当を取りくるコンビニを首になった女等

 惚れた男は試合に負けてボクサーをやめて、警備員の仕事をしていました。彼と同棲を始めますが、男は「生真面目に生きる奴は嫌い」と別の女のところへ行ってしまいます。

 失恋した一子はボクシングに打ち込み、とうとうプロ資格を取り試合までやってしまいました。

 この試合が最高の盛り上がりです。家族みんなが応援に来ました。

 試合で負けた一子を待っていたのは狩野です。彼と飯を食べに行ってエンドでした。必死のトレーニングで成長したはずの一子が男を振る、それがは普通の映画ですが、これは一子はまだ狩野に未練がある、と言いました。でも先のことはわからない、という映画です。

      私はあんな下種な男は嫌いです。