文学座『女の一生』

演劇鑑賞会の10月例会は文学座女の一生』でした。主人公が、杉村春子の当たり役、布引けいということは知っていましたし、新劇らしい芝居であるだろうと期待していました。
杉村春子のそれは見ていませんが、平淑恵も好演だと思います。明治大正昭和の背景は明確ではなく、垂れ幕で時代の事件を表していましたが、役者の台詞で、それらしい雰囲気も出ていました。
でも芝居の構図や布引けいの設定が、私が思い込んでいたものと違いました。私は「時代に翻弄される女」というイメージを持っていたのですが、そうではありません。
彼女は、戦災孤児から、先代の女主人から見込まれて、当主の嫁になり、大きな貿易商である堤家を切り回した女でした。
芝居は、そういう立場の布引けいが、アジア太平洋戦争、日本の敗戦までの激動の時代を生き抜く姿を描くものです。
上演時間が2時間半程度ですから、詳しい次代背景は説明されませんが、資本主義の発展期というのが分かります。しかも初演1945年であるので、昭和の雰囲気は、見る者が肌で分かっています。
でもこれからは、その時代感覚は失われていくと思いますから、演出はちょっと大変です。
堤家は中国との貿易を中心にしている、いわば商社ですから、その辺りの背景を見越して台詞を聞かないと面白みが伝わらないように思います。

彼女の人物設定で、特徴的だなと思ったのは、彼女は近しい人々が、つぎつぎと離れていく女だということです。有能で、商売に身を入れない夫に代わって堤家の商売を切り回すのですが、懸命にやればやるほど、夫も娘も離れていく義理の姉妹とも、うまくいかない。昔恋仲の雰囲気だった義理の弟からも嫌われる女です。
女は家庭を守り、男は家業を守る、というイメージから言えば転倒しています。そんな女の一生です。
最後、焼け跡の東京で、年もいき、何もかも失ったあとで、戦後の日本で新しい生き方をしたい、という言葉を吐きます。それで、困難に出会っても、いつも懸命に生きる女であることが分かります。
しかし、彼女のどこが周囲から嫌われる要素であるのか、それは彼女の悲しみであるのか、その辺りは、ちょっと分かりにくい感じです。