「あおげばとうとし」青年座

 16日、標記の神戸演劇鑑賞会10月例会を見ました。
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 うーん、中島淳彦さんの作品ですが、きっと私と合わないのでしょう。彼の世界には入れません。
 この芝居は、1972年の宮崎県油津を舞台に小学校の職員室、卒業式を目前にした教師たちの話です。とてもよさそうなのですが、私には「違うな」と思うことがしばしばです。
 時代は日本の高度経済成長の真っ只中、大阪万博があって、インフレと二桁賃上げがある時代です。田中角栄がヒーローでもありました。それは日教組が全盛でした。当然、田舎の学校であればあるほど、労働組合の影響も大きかったと思います。
 ここに出てくる先生たちは11人ですが、全員とても特徴的で、「デモシカ」といわれるような普通の先生はいません。個性的な考え方を持っていたり、私生活の悩みを持っています。でも自分のことばかりを考えているような人はいません。程度の差はあれ生徒のことを心配する人びとです
 彼らはいたずら小僧である問題児に頭を悩まし、それぞれの対応を考えます。その一見ドタバタ劇のような中で、彼らは成長していったというのが、この芝居の狙いかな、と思いました。違っていたら、誰かそう指摘してください。
 そうであるならば、現在の学校から見てとても平和だったんだな、と思います。実際にそうであったかもしれません。先生たちは今と比べ物にならないぐらいのんびりしていたと思います。でも、そのすぐ後にオイルショックがあって、一つ時代が変わるときですから、学校だって変化があって、先生たちも今までのようには行かないと思ったのではないでしょうか。
 生徒はどうでしょうか。私は1968年に小学校を卒業しましたから、この芝居のすぐ前で、そんなに違いはないと思います。そのとき私は何も考えていません。目の前の宿題で手が一杯で、テストの成績を気にし女の子にまったくもてないことで落ち込んでいました。
 そんな普通の小学生でしたが、いまだに忘れられないいやな思い出の一つに、音楽の先生のことがあります。確か加藤先生といってまだ20代であったように思います。彼が音楽の授業をやっていて、あくびをした生徒を前に呼び出して平手で顔を殴りました。なにかいいわけ的に起こった理由をいっていましたが、私もしばしばあくびをしますから、とても恐ろしくなったことを思い出します。
 今、結構な大人になって考えると、あくびぐらい誰でもすることですから、殴るほどのことはない、と思います。教育的見地などまったくない、自分のつまらない授業を棚に上げた、個人的な怒りです。この先生は後で教頭ぐらいにはなったと聞きます。まことにつまらない男です。
 とまあ、芝居とはぜんぜん違うことを書きましたが、一つ、注文をつけるとすれば、退職間際の有田という先生がいますが、彼のことです。彼は生徒たちから「月給泥棒」といわれる無気力な先生です。しかし芝居の進展の中で、ちょっと意味深いせりふをはいたりします。
 彼は、1972年で60前といえば、戦前からの先生です。(もしかしたら違うかもしれない。35歳で教師になったか)であるなら、戦前戦後の断絶、違いを言うべきではないか、と思うのです。
 加えて、教頭先生のだんな、亭主ですが、彼は芝居が終わる前に死ぬのですが、彼こそ戦前からの教師です。彼は自分の人生を子どもたちのために捧げたと思っているような、ことを教頭先生は言います。それはおかしいだろうと言っておきます。
 安倍首相の時代教育基本法が改悪されましたが、それがどういう意味か、今日的な問題です。それを浮き上がらすためには、この時代に言うべきことがあると思います。
 他にも色々ありますが、違うタイプの新喜劇だと思えば、見ることも出来ました。