法要

 親戚の法要で姫路に帰りました。久しぶりに生まれ故郷の村に足を踏み入れたのです。親戚の葬式や法要で近くまで行くのですが、なかなか村に行かないし、そういえば墓参りも昨年の盆以来いっていません。今年は母の7回忌ですが、忘れていて、まだしていません。
 忙しいというほどではないのですが、田舎の家にいとこが住み始めてから、ちょっと遠のいている感じです。それまでは、近くに行くたびに家に入り窓を開けたりしていましたが、今は、逆に行かないようにしている感じです。
 家は古い村の中心にありましたが、今は村の周囲の田んぼが区画整理事業ですべて宅地化したため、逆に不便になっています。路地(1間=約1.8m)がうねるように走っていて車が入りにくいのです。
 周囲の家はすべて大きな宅地(約100坪)ですが、うちは母屋の借家を譲り受けたために半分の土地で、ちょっと狭いのですが、7人家族ですんでいました。
 中学生のときに建て替えたものですから、もう40年になります。土壁で、床の間もあり、床柱も欄間も、父が精一杯のものを作り、今の基準では「ちょっと凝っている」といってもいいのでしょう。
 今日の法要は、父の従兄弟の49日で、この人がいなくなったからだんだんと遠のいていくかな、という感慨を持ちました。父の従兄弟ももう数が減ってきて、うちの法要に呼ぶ人も、その息子になっていますから、付き合い方を変える時期に来ています。
 しかし、ここにくれば戦後からのことを父の弟、今年80になる叔父が色々と教えてくれます。今日も死んだ従兄弟のことで「あいつは悪い奴で、早く死んで当たり前」といいます。それは彼の父、私の祖父が兄弟の中で田畑を分けてもらえず貧乏であったことから、親戚の中で、いつも蔑まれていたと言う、幼い頃の強烈なトラウマとなる事件を話してくれました。
 そしてその頃の「身分」意識をいまだに持っている連中がいると、最近のことも愚痴ります。いや愚痴ではなく、祖言う連中をやり込めたという自慢話ですかね。
 彼は、昔100戸だった家が今は1500戸になっているの「古い村」だといいます。
 しかし帰り際に、共産党のポスターを貼っている家を見て、ちょっとびっくりしました。その家は父が田んぼのことでお世話になっていて、死んだときにお礼に言った家です。大地主ですが、戦前に日本製鉄広畑製鉄所(新日鉄広畑の前進)の守衛であったことを自慢していました。「駐在よりもえらかった」といっていました。村では変わり者で通っていましたが、父は可愛がってもらっていたようです。
 はっきり言って「反共」でしょう。
 父が死んで20年ですから、その人もなくなっていると思いますが、その息子は共産党のポスターを貼ることを許したのだな、と時代の変化を感じました。