5月3日神戸新聞

 この日の新聞は中身が濃かった。改めて日本国憲法は立派だと思う。憲法と向き合うときに、ジャーナリズムも権力に追従する姿勢を恥ずかしく思い、その精神を取り戻すのではないか。
社説「大震災と憲法『被災者のためにもっと生かそう』」 
 これは久々に「神戸新聞よ、よく言った」といいたい社説であった。しめくくりの「根底に据えるべきは、憲法の理念である。私たちの生活に密接に関わる憲法を今一度見つめ直し、被災者のための復興に生かす方策を求めたい」は拍手喝采、カーテンコールでもっと書いて、といいたいぐらいだ。
 私的財産への公的支援は「違憲」と官僚は言ったそうだが、憲法にそういう条文はない、と片山鳥取県知事(当時)は噛み付いたそうだ。片山さんの評価は置いておくとしても、その官僚は日本が新自由主義資本主義社会であらねばならないと、思い込んでいるからだろう。憲法は国民生活を守る社会体制を想定している。
 神戸新聞はそこまで明らかにできないのかもしれない。「よく言った」といいながら、社説が言わない財源や「不要不急の予算」の振り替えまでも、思ってしまうと、これでは物足りない。
 しかし憲法を「変える」のではなく「生かそう」といったことを最大に評価したい。
イドバタ「中村うさぎが切る!都知事4選『虚勢の奥に潜む『マザコンの空威張り』。それを『強い父』と仰ぐとは・・・』」 
 これも拍手喝采だ。ちょっと負け惜しみの感もあるが、しかし神戸新聞がこれを載せたのは、やはり憲法の精神だろう。
 石原慎太郎は「弱いものいじめ」である。失言などではない。すべて本音であり本性だ。「仮面の下から、ひ弱で劣等感の強い地金が丸見え」「石原のマッチョな虚勢は、虚勢恐怖のマザコン少年が必死で強がっている図に他ならない」と感じる人もいるだろうが、私には単に卑しい人としか見えない。
 「石原を支持する人々は『マザコンの空威張り』と『強い父』の見分けがつかないわけだが、それは日本の父親たちが総じてマザコン」というのは、あまりにも粗雑な言い方だ。
 男はどこの国でもマザコンだろうし、石原を支持するのは馬鹿にされている女にも多い。よく政治を知っている人はあの程度がいいから支持するのかもしれない。アンケートで「上司になってほしいタレント」などで、上位には私から言えば最低の男たちが並ぶ。それを見るともしかしたら男は去勢恐怖ではなく去勢願望かと思う。
 彼が都知事でいられるのは、男がマザコンであるからではない。マスコミが「王様は裸」だといわないし、本来、石原に対抗するべき陣営がもっと「ひ弱」だから候補者も出すこともできない。それで多くの人々は大勢に流されて、石原に投票するだけだ。
 それにしても、この記事はいい写真を載せている。石原の本性が正直に出ていると思う。都民はかっこいい知事を持ってよかったね。大阪府民とどちらが満足しているのだろう。
ビンラディン容疑者殺害
 5月1日アメリカ軍は「国際テロ組織アルカイダ指導者ウサマ・ビンラディン」を殺害したと発表した。
 不思議な書き方だ。国際的犯罪の容疑者を殺害し、その息子や兄弟も一緒に殺したのだから、これは立派な犯罪だろう。テロだ。国家権力による白色テロである。しかも場所はパキスタンだ。アメリカ軍が他国で殺人を犯した。これに対する批判、評価を抜きにして、おかしいと感じないのだろうか。この行為のおかしさを神戸新聞は紙上で指摘しない。おそらくそれは書けない、といっていいだろう。
 仮に日本国内、東京付近でアメリカ軍が国際犯罪者を殺害しても同じような論調になるのだろうか。そうかもしれない。パキスタン大統領はアメリカを批判していない。同様であるかもしれない。
 5月4日の社説でも、ほとんど「何も書かない」立場をとった。「『テロなき世界』の構築」という見出しだが、テロを生み出す絶対的貧困、その撲滅に触れるわけでもない。この点で言えばジャーナリズムは死んだ、といえると思う。
 日本共産党は「法によって裁くべき」といったが、これがごく普通の感覚だ。9.11テロの被害者もビンラディンの殺害を大喜びしているという記事はない。
 ヨーロッパで少し違った意見が出ているようだが、他紙の書き方も調べてみよう。
福島原発建設に従事元技術者「欠陥配管多数あった」「設計図書き換え『日常的』」
 菊池洋一さんの証言。GEの社員として福島原発建設にかかわり、その後、反原発運動に身を投じている人だ。リアルな証言で、原発建設がいかにいい加減であり、国の検査も「図面も読めないような役人」が行ったというに及んでは、これが国家を挙げての「犯罪」であったことがわかる。
 原発には国の補助金が注ぎ込まれているだろうから、当然会計検査院の検査があったと思う。彼らの能力は決して低くない。組織を挙げてきちんと検査をすれば、ここにあげられている設計や施工でのミスは指摘されるだろう。
 それがなかったということだ。