雑感[5.19]

 最低男の面目躍如だな、と思う。誰のことかといえば橋下徹大阪府知事。国旗国歌に起立することを条例にして、これに従わない公務員は職務命令違反として処分する。「これが民主主義」だという。やはり石原に次ぐ「人気男」らしい。
 これに対してどんな意見が出るのか楽しみだ。予想としては、新聞は教職員組合からの反発を載せるだけだろうが、本当にそれだけで良いのだろうか。国会や市議会で多数を占めれば、そういうことを決めて、処分をちらつかせて、言うことを聞かせるのがいい大人のすることだろうか。条例化すればなんでも公務になるのだろうか。
 「大阪維新の会」の手始めの仕事みたいだが、まあそういう集団だ。大阪府民は、橋下に続きそこに命運を預けたのだ。彼らがどうなるのか、実験台として見てみたい。民主主義は権利と責任が表裏についてくるのだろう。
 ところで今日は田舎で葬式(父の従兄弟の婿、本家)があって帰ってきた。享年87歳だからまあまあの寿命だ。お厳かであったが空疎な感じの葬式で、悲しむでもなく、天寿を祝うでもなく、一つ片付いてという感じの葬式であった。大変な土地持ちで、自分の不動産の管理が仕事になるらしい。しかし、いわゆる地方の「名士」になれなかった。
 でもまあ、それはしかたがない。酔っ払いだから、誰からも尊敬されなかった。しかも大金持ちなのにケチだった。その息子もそうらしい。最上に行くバスがマイクロバスでぎっしり一杯だった。足の悪い母親もバスに乗せた。
 タクシーとか大型バスはもったいなかったようだ。それなのに、葬式の後の弁当を出したときに「存分にお召し上がりください」と来たもんだ。後見人に「どこに存分にあるんだ」と突っ込まれていた。
 その息子の話はどうでもいいのだが、彼のお礼の言葉などを聴いていて考えたのは、人の心に届く言葉はどうすればいいのか。
 葬式のお礼の言葉はみんな聴いている。しかし多くの人は、参式のお礼と今後のご厚誼、といった決まり文句を言う。そして少し気が利けば、死にいたる近況を言う。さらに死者の思い出を言う、といったところか。ここであんまり天下国家は語らない。私はそこで話される内容で、喪主の思いを図っている。
 私は、父も母も、どんな人生だったか特徴を、息子の視点で話をした。それが死出の旅路へのはなむけだと思っていた。そのことに気づいた親戚がいい話だったといってくれた。それが葬式の思い出だ。
 ちょっと話がそれたようだ。人の心に届く話だが、やはり話すべき内容を持っていることだ。当たり前だが、話すべきことがなければ形式になる。あふれるように思いがあって、その場に相応しい話題であれば、多少言い方が悪くても、言葉使いが不味くても、伝わると思う。
 今日はそれが言いたい。最初の橋下知事もそうだ。彼の言葉は薄く残酷だ。
 この問題については、内田樹先生が適切な批判を加えている。