「ルールとコミュニケーションによる景観まちづくり―景観の「値段」で考える」大庭哲治

 6月28日兵庫県地区計画推進協議会主催の学習会に参加した。せっかく尼崎まで行ったのだが、あまり得るところはなかった。
 景観を「値段」で考えることが新しいのだが、「値段」とはなんだろう。マルクス経済学では一般的に「価値」(使用価値と交換価値)だから、近代経済の考え方だろうが、「値段」について明確な定義付けをしていない。
 最初に「1000万ドルの夜景」という引用があって、それは都市の夜間景観を作るための一年間(一月だったか)の電気代から来たとか、上海の夜景が「200万ドル」といわれるのは、川があって一方が100万ドル、もう一方が100万ドルであわせて200万ドルといった。100万ドルという根拠はなかった。
 それを作るとか維持するとかにかかる経費かな、と思いながら聞いていて、「景観の維持に、あなたならいくら払うかというアンケート」に基づいて「値段」を考えるという話になったからこれはおかしいと思った。個々の人の生活水準や収入によって払える「値段」は違うはずだから、景観につける「値段」はいわば空疎な話になった。
 堀繁[東京大学教授]先生の景観の明快な性格付けに比べると、まことにお粗末な残念な話であった。しかし大庭先生は若いから、もっと勉強して都市景観の「値段」ではなく、その「使用価値」を普通の人にわかるように広げられる「理論」を考えてほしい。
 都市景観は、市民生活の常識である、というレベルまでにしてほしい。


 景観は定性的な分野だと思うから、それを定量化するのは非常に斬新な研究だと思う。都市景観は普遍的な都市財産であるという位置づけを明確にしていることは非常にいい。
 しかし、いい都市景観とは何かを明確に示せないところがだめだ。景観を造るとは、個々人の「好み」の問題ではなく、明確な一定の考え方に基づくものだという、堀先生の理論は素晴らしく明快だった。
 それは、景観=見るという行為、見る人、という具体的な主体とその行為が明確で、「良い」と感じるのは、安心感を与えることと見たいものを見やすくしていること、見る人を歓迎していること、といったいくつかの指標が示されている。
 堀先生の理論をもう少し勉強したいと思っている。