野田首相「所信表明」と中井久夫「清陰星雨」

 9月13日に野田佳彦首相の所信表明演説があり18日に中井先生のコラム(神戸新聞)がありました。それで確信を持ったので書きますが、野田首相は最低の首相を更新するかもしれない、と思います。
 野田首相は「忘れてはならないものがあります」というフレーズを繰り返すが肝心のことを言いません。それは今日の事態を招いた政治、政治家の責任です。国民はそんな政治を選択してきたことを忘れてはならないのです。
 演説の中身は「正心誠意」などという言葉遊びはするけれども、今日の本質的な問題は避けて通り、しかも己の政治信条は何も明らかにしないという姑息さです。
 「中長期的には、原発への依存度を可能な限り下げていく、という方向性を目指すべきです」という2重3重の欺瞞的な言葉を吐きます。「中長期的」と当面の課題を避け、「依存度を可能な限り」という役人言葉を使い、さらに「方向性を目指す」という無責任さです。
 原発を廃止する、という言葉とどれほどの距離があるか。それを遠回しに言うことに、なんの恥ずかしさも感じないのです。
 「世界に冠たる社会保障制度」とはどこの国のことなのか。日米安保絶賛も含めて、自民党政治万歳をここまで言うか、という思いです。鳩山、菅ともにダメ宰相の烙印を押されましたが、それでも彼らは「政権交代」の意味を考えていました。しかし野田首相にはそのかけらもありません。自民党政治の継承を誓うような演説です。
 民主党はゼロからやり直すしかないでしょう。いや、ここまで信頼を落とせばマイナスでしょう。
現場の力を生かす環境を 
 中井先生のコラムは、示唆に富んでいます。すべて引用したくなりますが、そうも行かないので怒りに任せて気づいたことを書きます。
 「情報とは権力である」という話は、そのとおりですが、菅首相が東電に乗り込んだ意味を明らかにされたので、それこそが、菅排除の正体か、と思います。東電は財界の総本山ですから、頭から菅を相手にしなかったのでしょう。それを見た世界の国々は日本を信用しなくなったのです。最も重要な情報が最高責任者に集まらない政府は信用に値しない、という判断です。
 そのことも野田首相はスルーしています。
 「権力者に人民への恐怖はある」という言葉も重みがあります。本当のことを知れば、彼らは八つ裂きにされるかも知れません。しかし国民性が「一億総懺悔」に向かっています。マスコミが紛らわしい情報を撒き散らして、真の責任者を隠しているのです。だから「風評被害はその延長上にある」という言葉に、マスコミは責任を感じるべきではないか。
 「世界は今後、脱核体制に入っていくであろう」という見通しは、それしかない、という思いを新たにしました。