『ライフ いのちをつなぐ物語』『人生、ここにあり』『未来を生きる君たちへ』

 9月はよく映画を見ました。とりあえず前半に見たものを書きます。どれも特徴があるいい映画でした。
 9日は『ライフ』です。小さい頃から動物のドキュメンタリーが大好きでした。『野生の王国』など毎週見ていました。アフリカの公園を管理する仕事にあこがれていました。『ライフ』も昨年の『オーシャン』とか『アース』と同様ですが、一段と映写技術が進歩し、動物の決定的瞬間や、「どうやって撮ったの」といいたい映像がバンバン出てきます。それが楽しめる映画です。
 見ていて気づいたのですが、動物に表情があり「知性」のような目の輝きがあります。「動物も人間だったのか」、あるいは街行く人を見て「人間も動物だったのか」と思います。



 10日『人生、ここにあり』(原題「やればできるさ」)は元町映画館でみました。よかったですね。感動的ではありますが、それだけではない、夢というか希望があります。
 『シチリア!シチリア!』と同じイタリア映画ですが、こちらはミラノですから北部ですね。1980年代、精神病院廃絶法が出来て、病院に閉じ込められていた精神病患者たちが一般社会で働くというようになるのですが、病気が直るわけでもないから、みんな苦しい。普通に働けない。
 患者たちが病院の中で、労働者生活協同組合(日本ではなじみが薄いですが、同じようなものがある。労働者が共同で会社組織を作って、平等に働く組織。以下「労協」)をつくって、仕事を得ていますが、そんなにうまくいかない。慈善事業として、公共団体から単純簡単労働をあてがわれて、てんでばらばらに働いている。共同などない。
 そこへ労働組合から「労協」組織の運営に一人の男ネロが送り込まれる。彼は日本で言うところの一本気でしょうかね。労働組合活動でも女に対しても「思い込んだら」という気性で、悪く言えば自分勝手で暴走気味で組織の中心からはずされるという、いわば左遷、失意でやって来る。
 彼は新しい環境でやるべきことと探る。彼は会議を招集し、意見を聞き、そして労協の仲間を見て、その能力を生かせば、何か出来そうだと、本気で働く仕事を探す。それが廃材を利用した床板の寄せ木細工です。



 彼らの仕事は評価され、1人前の収入を得る仕事を、誇りを持って働きます。人間が生き生きと生きるとは、こう言うことだと、この映画は言うのです。
 すべてうまくいくということではないのですが、映画は精神病は治癒しない、ということを見せて、それでもうまくやれる、「これは実話に基づく」と終わります。
 少なくとも、それぞれ自分の能力を生かせる仕事は、その人にも社会にとっても有益であり、それをコーディネイトする人がいる、ということです。人材派遣業のことを言っているのではないですよ。社会の適材適所、これはまさに公務労働だと思うのです。
 15日『未来を生きる君たちへ』(原題『復讐』)は、ちょっと一口ではいいにくい映画で、それは邦題と原題の違いからも感じられるでしょう。それと監督スザンネ・ビアとは感覚が合わない気がする。例会でもあった『ある愛の風景』もそうだが、彼女の言うことにほとんど同意しながら、根本的に違うような気がする。



 例えばこの映画の中で、個人の喧嘩の延長に国家の戦争があるような台詞が出てくる。それは違うだろう。私は「戦争は、違う手段による政治の継続」という考え方だ。
 それとか、この映画の中心的なテーマに関わるが、子どもの愚かな報復と、アフリカの残忍な妊婦殺しのリンチを、何かしら関係が有るように描くところも納得がいかない。
 本質的に違うもの(と私が思うこと)を、同じように類比して扱うことがおかしい。