『ヒヤ・アフター』『エドガー』『さあ帰ろう、ペダルをこいで』『キリマンジャロの雪』『ラム・ダイヤリー』

 6月は後半に駆け込みで映画を見ました。そのうち素晴らしいのは『キリマンジャロの雪』です。C・イースドウッドの『ヒヤ・アフター』『エドガー』はあまり評価できません。『さあ帰ろう・・』『ラム・ダイヤリー』もネェ、という程度です。
キリマンジャロの雪』マルセイユを舞台にした映画ですが、フランスだけではなく、現代の先進資本主義国といわれる欧米、そして日本に共通するものをストレイトに描きました。


 上の写真から映画は始まります。不況で会社は労働者の数人を解雇しないと潰れてしまう、と労働組合も理解して、その人選をくじ引きという「公平」な方法で行います。主人公である、労働組合の委員長もくじを引き解雇されます。
 彼は子供も独立し孫もいる、平和で幸せな家族を作り上げた、典型的な労働者です。しかも労働組合の委員長であり、フランス左翼の活動家です。
 下の写真は、長年苦労をともにした夫婦が、引退生活に入るのではなくて、もう一度やるべきことをやってみようと確かめ合うところです。
 こういう展開は甘いかもしれませんが、私は大好きです。
 この二つの写真の間に起きたことが、この映画の現代フランスの捉え方です。詳しくストーリーを追うのではなく、私の感じるままに紹介してみます。
 やはりフランスも日本と同じように戦後の経済発展があり、労働組合もたたかって国民生活が豊かになっていきます。そして今は、新自由主義の流れが強まっています。真面目に働けば暮らしは良くなる、と思った時代から変わってきた、という点も同じです。
 主人公は、私とほぼ同年代でしょう。戦後生まれの第2世代(そんな世代論があるのかどうかは知りませんが、日本で言う昭和30年代)で、我々の努力で世の中が良くなっていくという感じで、働き生きてきた、様な感じが、私はしています。
 それが、そういう右肩上がりではなくなった、ことを認めつつも、ここから新たな展開は十分できると思っていました。そんな思いとは裏腹に、新自由主義の流れがあまりにもきつくて、人々の支持がそちらに流れていくのをじっと見ているだけに、あるいは守りに入ってやりすごすように、なっていたようです。
 これが私と彼の共通している、と思う人生です。
 会社を首になって、仲間や子ども達が慰労のパーティを開きプレゼントとして「キリマンジャロの雪」を見に行く旅行券をくれるのです。ささやかな人生の達成感を感じた瞬間だろうと思います。これがそうです。

 映画は、ここから大きな転換を見せて、彼の人生を問い直す事件が展開していきます。強盗に入られて有り金を全て奪われますが、それが一緒に首になった若い同僚であったのです。
 5月例会『明りを灯す人』のフランス版と見ることが出来ると、私は思います。
 他の映画も短く感想を言っておきましょう。『ヒヤ・アフター』は死後の世界を題材にした映画です。

 決してそれを主題にしたのではなくて、生き残った人の生き方に力点は置かれていますが、C・Eには別の映画を作ってほしいと思います。
 それで『エドガー』に期待していたのですが、少し期待はずれになりました。FBIの創設者であるエドガー・フーバーの表と裏を描いています。彼が極秘捜査で歴代大統領の秘密を握り、FBIの権限を増大させていった、という米国の恥部も明らかにします。物足りないのは、それがどういう政治的役割を果たしたかという点です。

 フーバーは強烈な反共主義者で、そのあたりはC・Eも似たところがあるから、そのいやらしさもうまく描きますが、米国の「秩序を守る」ことが、結局こういう人種差別が根強く残り弱者を切り捨てる国にしたともっと強く言うべきでしょう。
 『さあ帰ろう、ペダルをこいで』はブルガリアからドイツに亡命した息子の家族、それが交通事故で、記憶喪失となった孫だけが生き残り、それを迎えに行った祖父とタンデム自転車をこいで帰ってくという話です。それだけ。

 『ラム・ダイヤリー』は「ならず者ジャーナリスト」といわれたハンター・j・トンプソンのプエル・ト・リコ時代の自伝的映画で、ラム酒漬けのハチャメチャな毎日を描く。現地人たちを多少とも意識しているところが良いといえば良い。ジョニー・デップはこんな役が一番見やすい。