兵庫県自治体学校『地方自治の『維新』と県民の暮らし」

大変な事態になっている、と実感した。今日の基調報告やパネル・ディスカッションによる、現状報告もそうだが、それ以上に、11月10日勤労会館であった標記の集会の参加者が50人に満たないと聞いたからだ。

最初に兵庫自治労連委員長の森栗さんが挨拶した。これは兵庫県自治研問題研究所と自治労連の共催だ。一般の組合員が参加するべき催しなのだ。それなのに、議員、元議員と自治労連以外の自治体労働者が目立った。
自治労連は西宮と川西、芦屋しかいないが、それでもその気になれば三桁ぐらいは動員できるだろう。それが出来なかったのか、しなかったのか、わからないが、この結果には愕然とした。
自治労連のスローガンは「住民の幸せなくして自治体労働者の幸せはない」だが、そういった理念で組合員を引っ張っていくことは出来ない。自治体労働者自身が住民の生活実態を知り、その意見を聞くということが、原点だろう。
それが出来ているのだろうか。
どこが肝か
学校の中身は、最初に森栗委員長から開校の挨拶があり、橋下大阪市長の影響が兵庫にも来ている、という水道局検針を大阪市の外郭団体がダンピングをして落札した件の紹介があった。彼の地方自治観は、自治体労働者を「住民に命令する立場」と考えていることだ。職員に絶対服従を誓わせて、住民を支配する姿が見えてくる。彼に言わせれば「私を選んだのだから、住民がそれを望んでいる」となるのだろう。私の生き方とか、地方自治の考え方とまったく違う。
理事長の田中章宏先生(神戸大学発達科学部)から基調報告があった。地方自治の問題に焦点を当てながら、現代の情勢を分析して、わかりやすかった。
地球全体、日本社会のグローバリズムの動きの対応して、地方自治の諸制度が変えられてきた。そのスローガンは「官から民へ」「国から地方へ」というが、その本質を探り、対抗軸をどのように作るのかを考えようという主旨だった。
対抗軸に納得
話に沿って断片的に、いくつかの論点を拾ってみよう。
①90年代からグローバリゼーションが目に見えて進んだ
ベルリンの壁崩壊とICTの急激な発展と普及があり、人、物、金が国境を越えて動いている。それ以前から進んでいたが、多国籍企業の組織、生産方式、国際分業なども大きく変わっている「暴走する資本主義」という言い方がある。行き着いたところがリーマンショック
1960年代をピークに、西欧の資本主義が変わり始め、日本は高度成長期が少し後まで続いて「japan as NO.1」の時代を築いたが、今はそれが裏目になって、その変化への対応で欧米からは遅れている(「社会を変えるには」小熊英二、と同じ論旨)。
自治体の変化
NPMが広がり「漕ぎ手から舵取り」へ、そして、人口の流動化、労働の流動化の中で、市民生活をささえる福祉、医療、コミュニティに加えて地域産業を支えることが大きな役割になる。
地方自治制度の基本構造が検討されている。
新自由主義に基づく再編(財源の集中、権限の集中、正統性の確保)を検討。憲法の定める2元代表制を棄て、首長のしたの議会、議員を公務員に登用。道州制、大都市制度(大阪都構想、特別市)。直接民主主義の多様(それは民主主義の劣化につながる、これまでの「住民投票万能」を批判)。
④現状の特徴を3つの言葉で
「自己責任論の蔓延」「自由競争の強制」「社会の利害関係を反映できない政治」
⑤そこからの出口
「自己責任」から人々の心を解き放ち「自立」と「依存」の同時存在(『ヤコブへの手紙』そのものだ)による連携。「熟議民主主義」の構築。数の民主主義から「反対している相手の行う議論への尊敬」を土台とした合議をめざす民主主義。
 この出口、対抗軸は、私が思っていることを整理していただたと思う。納得した。