大同団結

第3極とは
 総選挙です。新聞もテレビも週刊誌も選挙報道で埋められています。しかしどうもよくわからないのは、第3極の報道です。極(きわみ)というのですから、第1極第2極第3極と言う言葉は、それぞれ離れているイメージ、対立的イメージがありますが、しかし、それらが指す民主、自公、それから「維新」「みんな」「生活」とかの、いわゆる3つの極の実態は、離れているイメージではありません。
 新聞報道の極(きわみ)は、離れている、とか対立している意味ではないようです。[神戸]11月20日社説では「第3極」というタイトルで「政策をあいまいにするな」という見出しの記事がありましたが、それを読むと「第3極」といっているのは、自民党民主党から別れ出た政治家が作った政党、政治集団を指しているだけです。
政党とは
 しかもこの見出しを見てもわかるように、あたかも3つの極が違う政策があるような報道です。こんなことを社説で書くようでは、[神戸]の見識を疑います。
 議論の焦点は政治であり政党ですから、仮にも政党という限りは、政治的思想があり、理念があります。それに基づき現実を分析して、政策が作られると思います。しかし[神戸]だけではなく「マスゴミ」と呼ばれる全国紙やテレビは、そこの大本になる思想に踏み込みません。というか、もしかしたらそういうものはないという前提で記事は書かれ報道されていると、思いました。
 例えば共産党であればマルクスエンゲルスが体系つけた「科学的社会主義」、社民党社会民主主義もそれに近いでしょうし、自民党は「保守」といいながら融通無碍な資本主義万歳党、公明党は池田党ですかね。
 そこまで追求しなくても、せめて現代の重要課題に対する本質的な考え方を整理するのがジャーナリズムではないかと思います。
政策の大本には
 それは何かといえば、まず「憲法9条」「消費税」「TPP」「原発」ぐらいを軸に分類するべきでしょう。それでいうと、今新聞で言われている1から3までの極は、それほど変わらないのではないかなと思います。
 なぜなら、これらの重要課題を考える時に、米国や財界の意向に配慮するのかしないのかに、問題は収斂するからです。そしてマスゴミがいう3つの極は、日本及び国民の利益に配慮するよりも、米国と財界の顔色を見るような傾向だと思うからです。
 だから彼らは大同団結できるのだと思います。
 それに対して、もう一つ、配慮しない(どちらかというと配慮しない、でもいい)で、大同団結する極を作ればどうかと思うのです。この4つの問題で近い政策を持つ共産党社民党は協力して、一つの極を作る気はないのでしょうか。
 といっているうちに嘉田滋賀県知事が、声を上げました。