水に落ちた犬か

 橋下発言に対して批判が高まっています。新聞が社説で取り上げテレビも米国の批判を紹介しています。維新以外のすべての政党も批判的です。
 ここぞとばかり叩くのもありますし、今まで接近していたところは、選挙のために違いを出しておかないといけないと、ばかり批判をしているのもあります。
 しかしよく読んでみると、きちんとその言葉を聞いてみると、それぞれ少しづつ違うので、それぞれの新聞、テレビ、政党、個人の持つ思想が出ているように思います。
 言わば、今回の橋下発言は非常識であるゆえに、リトマス試験紙の役割を果たしています。
[産経][読売]もとりあえず批判
 [読売]は最初15日の[編集手帳]で「戸惑っている」という程度でした。それが16日の社説では「公人としての見識と品位が問われる」まで、とりあえず言って、「こうした提案をし、それを表明する必要があったのか」と結んでいます。余計なことを言いやがって、という批判です。
 [産経]は、橋下発言と「河野洋平官房長談話否定」論者とは別物、極右といわれる稲田行革担当相、下村文科相は「ちがう」という論調です。
[朝日][毎日][神戸]は踏み込んでいるが
 3社の社説を読んでいると、人権という観点での批判、自民党も含めた歴史認識に対する批判まで踏み込んでいます。政治家としての資質に欠けるという批判に加え、「国益」とか「国際社会からの孤立」というのが目につきます。
 もちろん政治家、自治体の首長に相応しくありません。強く批判するべきです。しかし石原慎太郎は、これまで女性や障害者に対してもっと酷い侮辱的言辞を浴びせてきました。それに対しては、マスコミの批判は弱かったように思います。今回は国益が絡むから厳しく言うのかと思います。
 国益や国際社会(特に米国)にとらわれることなく、人権感覚の欠如する政治家に対しては、厳しく批判することが大事ではないかと思います。
政党、政治家の思想が見える
 維新は、党の見解ではないといっていますが、今回の「橋下発言」を石原が擁護し、内部から批判できない政党、政治家の集まりであることがはっきりしました。
 みんなの党は、選挙協力を「凍結する」といっています。文化や体質が違うとも言いますが、人権感覚は政治の基礎です。それを「凍結」という程度です。
 今まで橋下に接近を試みていた人々、例えば安倍首相も歴史認識は同じようなものだと思うし、96条改憲勢力として取り込もうとしていました。それが一線を画す態度になっています。
 そのあたりは思想や歴史認識が共通していますから、誰と組もうと自由です。彼らにとって政党は、選挙がらみで合従連衡する、選挙互助会でしょう。
もう少し見ているとわかること
 今回は橋下は地雷を踏んだ、大勢を見誤った、という意見もあります。私の身近でも聞きます。それについては私はまだ半信半疑です。
 彼が潰されそうになった時、まだ利用価値があると思い、事態を収拾する力が働くように思います。そこの中心にいるのは、安上がりの政府、大企業の自由な活動、米国の世界戦略を狙う勢力かな。