6月の残り『愛する人に伝える言葉』『波紋』『探偵マーロウ』『告白、あるいは完璧な弁護』についても簡単に書きました。
『愛する人に伝える言葉』
市民映画劇場の6月例会です。映画サークルの機関誌に解説を書きましたので、それを載せておきます。
生を噛みしめて
はじめに
人は必ず死を迎えます。戦争や災害、事故にあわなくても、不治の病気や老衰で死を迎えます。寿命や天寿という言葉には、生を全うしたという感じがします。しかし若くして死ぬこともあります。それは、本人も周囲の人々も辛いものです。
『愛する人に伝える言葉』は不治の病となり、一年も持たないという余命宣告を受けた、まだ39歳の男が病気を受け止めて死んでいく姿を描きました。それは悲しいことですが、奇妙なことに、この映画を見た後に、私は清々しさを感じたのです。
余命宣告を受けた男が、残された命をどのように生きるかを描く映画といえば、黒澤明の名作『生きる』(一九五二年)です。市役所の市民課課長(志村喬)は、死ぬとわかった時から懸命に働きました。それが彼の「生きる」でした。
封切りではありませんが、一九八〇年代の働き始めた時に、これを見て私も感動し、そして人生を考えました。
一人で生きているのではない
『愛する人に伝える言葉』も同じように余命宣告を受けた男、俳優志望の学生に演劇を指導する教師バンジャマン(ブワノ・マジメル)が、不治の病を受け入れていく生き様と、それを支える周囲の人々を描きました。
原題は「彼の人生」という意味ですが、バンジャマンだけではなく、彼の闘病を支える母親クリスタル(カトリーヌ・ドヌーブ)主治医ドクター・エデ(ガブリエル・サラ)担当看護師ユージェニー(セシル・ドゥ・フランス)その他の終末期医療を支える人々の思いや人生観などが描かれます。さらにもう一人、バンジャマンの知らない彼の息子も登場します。
残り僅かな時間、統計では半年から一年で死を迎えると言われた彼と、彼を支える周囲の人々を描くことがこの映画の主題であると思いました。ですから『生きる』とは明らかに違います。
七〇年前に比べて医学は進歩しています。そして個々人の人生観も多様になっています。
ドクター・エデは、病気と闘うバンジャマンを自分らしさ、より良い生活の質を保つように励ましました。そして冷静に事実を伝え、「決めるのは患者」と言いつつ、どのような治療が彼の生活を支えるか、最善を提示します。
生き方を変えることなど求めません。
彼は医学的な治療を施すとともに、バンジャマンに死に向かう者の心構えも示唆します。残される者に伝える五つの言葉を教えました。それは「赦してください、赦します、ありがとう、さようなら、愛しています」です。
バンジャマンは、しばらくは通院しながら演技指導を続けましたが、入院します。病院のベッドに横たわりながら「誰も幸せにしなかったし、誰からも必要とされなかった」 といいます。
まだ若い独身の男の正直な独白だと思いました。しかし何かを成し遂げる、そんな人生は必要ありません。生きてきた、そのことだけが大事で、死を意識した人間を描くことで、命の大切さを感じさせました。
ドクター・エデは、治療に音楽の持つ力を活用しています。彼が最期を迎えようとした時に、傍らにいたのは音楽療法士、ギタリストです。静かな調べは病気の苦しみを包み込みました。
映画は、バンジャマンが過去を振り返る映像はありません。しかしと母との複雑な関係を見せ、まだ見ぬ息子も認知し相続人にしました。
彼は伝える言葉を噛みしめているようです。
見送る人々
この映画で重要な役割を演じるのは、患者やその家族だけではありません。バンジャマンを担当するドクター・エデやユージェニーだけではなく、病院で働く人々も丁寧に描かれています。
終末期の患者たちばかりを診る医師や看護師たちは、日常的に死に直面する仕事です。計り知れないストレスがかかっていると思いますが、みんな明るい表情で患者に接しています。
そのために病院の働き方に工夫がありました。大勢が集まってダンスや音楽を楽しむ時間を持つなども、その一つです。楽しく明るい職場の雰囲気が盛り上がっています。
それ以上に主治医を中心としたミーティングが大事だと私は感じました。スタッフ一人ひとりに患者の病状、治療方針、考え方を伝えます。それぞれは部分の役割を担っていても、全体も把握していると思います。
これは自覚的に責任を持って働く基本ですが、なかなか難しいことです。そういう人々が、理想的な終末期医療を支えます。
舞台はフランスですが、現実の医療制度とは無関係です。米国の病院で働く、実際の医師であるガブリエル・サラの治療方針をヒントに映画はつくられました。
『波紋』
現代日本の庶民生活を描く邦画です。でもちょっと不愉快な感じです。それは主人公が新興宗教にはまるのですが、そこに集まっている人々の姿を馬鹿にしている感じがあるのです。
主人公は夫が失踪し病気の義父を抱えるという、平凡な主婦で、新興宗教に縋り付きます。そして困難にへこたれず生活を守りました。義父が死に、子どもも就職して家を出て、一人暮らしになります。
そんな時に失踪した夫が癌を患って、助けてほしいと帰ってくる、さらに子どもが結婚したいと思う女性を連れて来る、という映画です。
どこかコミカルな映画でした。
私は、新興宗教にすがる彼女を理解できます。それは新興宗教と言えないかもしれませんが、私の母系の親戚は天理教信者で、私も母に連れられて、教会とかに行き、その教義を聞いたことがあるからです。
その時はばかばかしと思っていました。普通の大人達が、それを信じていることに「なぜか」を考え、ある時に気づきました。母は舅姑の同居生活、古い村の慣習に疲れる日常を、そこで癒していたのではないか、どうしようもない現世の困難、悩みに対し救いを求めているのです。
そこで出会った人々は、信心以外は普通に生活している人々です。
この映画では、その信者たちをちょっとおかしい人間のように描いています。そこに違和感があるのです。彼らの内面の一端さえも描かずに「変な人間」という決めつけは、底が浅いと思ってしまうのです。
『波紋』は新興宗教が「水」を信仰の対象にしていることに掛けていると思いました。
『探偵マーロウ』
レイモンド・チャンドラーが作り出した探偵、フィリップ・マーロウをリーアム・ニーソンが演じた映画。彼の100本目の映画だそうです。原作はチャンドラーではなく、ブッカー賞受賞作家ジョン・バンヴィルで、チャンドラーが公認した作品だそうです。
マーロウの事務所に来た美女の「消えた愛人を探してほしい」という依頼から始まりました。
ちょっと込み入った筋立てでわかりにくかったですが、感じのいい映画でした。ハ-ドボイルドは好きです。
『告白、あるいは完璧な弁護』
韓国映画は力があるなと思いました。面白い映画でした。
2重3重のトリックがあるミステリー映画です。
最初は密室殺人の疑いをかけられたIT企業社長と彼が雇った弁護士が、その事件についての話をしていたのが、社長がかつて起こした交通事故とその隠ぺい、その被害者へと問題点が移っていきます。それが巧妙です。