4月の残り『ペトルーニャに祝福を』『ラ・メゾン』『プリシラ』を書きます。
『ペトルーニャに祝福を』
映画サークルに投稿したものを再掲します。これは市民映画劇場例会で、それであまりあらすじなどの紹介していません。だからここではちょっとわかりにくいかもしれません。
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男だけの神事
北マケドニアは馴染みがありません。例会学習会でユーゴスラビアの話を聞いても、やはりピンときませんでした。位置はギリシアの北隣です。
この国の歴史や社会の実情はほとんど知りませんが、でもこの映画で描かれることは日本の現状と似ているなと思いました。
映画は、北マケドニアの土着的な宗教行事に絡んだ「事件」ですが、日本などジェンダー問題を抱える国の、普遍的な出来事を戯画化したようです。機関誌によれば、実話に基づく映画で、時代設定は現代です。
多様性は尊重していても、ジェンダー問題では保守的な私から見ても、この映画に登場する男たちは、全く愚かです。
大学を優秀な成績で卒業したと思われるが、30歳を過ぎても働いたことのないペトルーニャは、母に言われていやいや面接に行きます。そこでひどいセクハラされて頭にきて帰ります。
その途中で、町のキリスト教会が催す神事に出くわしました。冬のこの時期に橋の上から木の十字架を川に投げ入れて、それを半裸の男たちが取り合うというものです。
いわゆる幸運の十字架です。
その十字架をペトルーニャが取ってしまうという珍事が起きます。男だけの神事なのに、彼女は「私がとった」といって、十字架を家に持って帰りました。
そこから町を挙げた騒動になっていきます。彼女は警察署に呼ばれて、当の神父、警察署長や検事等が十字架を「返せ」といいますが、ペトルーニャは頑として拒否します。それをテレビ局の女性キャスターが大げさに煽ります。馬鹿な男たちが警察署に押し寄せ騒ぎます。
誰が何を欲しがるのか
神事に使われたというだけのごく普通の木の十字架は、金銭的芸術的な価値等はありません。しかしこの町の大勢の男たちは拘りました。それは何の象徴なのか、この映画の肝があると私は思いました。
男が独占していたものを、ペトルーニャが奪った、男たちは「赦せない」といきりたちます。
映画を見ながら私は「彼らはなぜ彼女を無視しないのか」と思いました。しかしそこに彼らは異常に拘る、これは不条理劇です。
彼女に奪われた十字架の価値は、それを信じる者だけが認めるものです。ペトルーニャは、それを知っていて、それを梃に自分を不当に扱う社会と男たちをからかっている、私はそう見ました。
映画はペトルーニャを男からは好かれないタイプの女に設定します。まず男に媚びず、何事にも可愛げがなく、理屈をこね言いたいことは言う、そしてものぐさで自堕落な感じです。顔の美醜や体形は、かの地の基準が分かりませんから、それは保留です。
男の側からの最大級の誉め言葉「気立てのいい娘」とは程遠い存在です。
その効果は絶大で、男たちは「この女は許せん」といっそう怒ります。
男たちは彼女に何を求めたのか。自分の過ちを認めて謝罪しろ、彼らが考える女性でいろ、でないかと思います。
それは、居場所を無くした意気地のない男の泣きごとのように見えました。
ペトルーニャの幸運
強行につっぱり、憎まれ口をたたく、そんな彼女に少しだけ好意を示した若い警官を、この映画は出します。彼が彼女の何に惹かれたのかは明確ではありません。私は、彼自身がこの町の体質に嫌気がさしていたのかなと思います。それに体を張って抵抗するペトルーニャに好意を持ったとのではないかな。
彼女は法を犯していませんから、堂々と帰っていきます。その時に「私はもういらない」と、幸運を招く十字架を返します。そう彼女は幸運を得たのです。
ちょっとした若い警官の好意が、彼女の幸運です。
二重三重に皮肉な映画で、不条理な現実を笑う喜劇のように思いました。社会的、宗教的に、家族の中でも何かにつけて「男の優位」を守りたい男(私にも無意識にある)の愚かさを思う存分にからかう映画でした。
『ラ・メゾン』
実話に基づく映画です。フランスの小説家が、小説を書く取材のために正体を隠してドイツの娼館で売春婦として働きました。それを基に小説を書き映画化がしました。

主人公は美人ですが、何か色っぽくないというのが感想です。娼婦たちは演技で官能的なしぐさ、セックスで感じている風を装うのはわかっていますが、それを差し引いてもあまりセックスアピールを感じないのです。
40年前の日活ロマンポルノは「エロ」と思ったのに、この映画ではもう一つ乗れません。年齢的なものがあるのかな。
それはともかく、娼館での様々な娼婦がいる、あるいは客も様々な人が来るという風には描きます。
大学の先生みたいな人は、とてもいい客で、セックスをすることに拘っていません。でもだからどう、という感じでした。
『プリシラ』
エルビス・プレスリーと結婚した女、プリシラを主人公にした映画です。でも彼女の内面への踏み込みがあまりないので、私の印象は「よくわからない」映画でした。

エルビスが米軍兵士として西ドイツに駐留していた時に、同じ基地にいた米軍将校の娘、まだ14歳だったプリシラを見初めます。その後、彼は米国に帰りますが、数年の後に、まだ学生だったプリシラを呼び寄せました。しばらくして結婚しました。彼女は20才前後です。
エルビスとプリシラは、お互いは愛し合っているように見えますが、露骨なセックスシーンはないのです。結婚して子供も出来ますが、エルビスは仕事が忙しく、また薬物依存症です。
1962年に知り合い、1965年にプリシラが渡米し、1967年に結婚し、73年に子どもが生まれます。そして77年に離婚しました。エルビスはその年に死亡します。42才でした。
プリシラがエルビスに憧れるのはわかりますが、エルビスが彼女の何に惹かれたのかはわかりません。ロリコンだったのかともしれません。
彼女が中学生の時に知り合いますが、長い間、幼い彼女の肉体に手を出さなかった、というように描いています。