「廃墟に乞う」
久々に佐々木譲を読んだ。ほとんどの作品を読み一休みをしていたが、この「廃墟に乞う」は直木賞受賞作品だったので読んでみた。短編連作で読みやすいということもあったが、主人公が休職中の刑事という設定で、色々な事件を彼なりに「解決」していくのが面白い。どれも一ひねりが効いている。
主人公の設定が仕事で神経を傷めているというのが、私の気を惹いた。簡単に紹介しておこう。舞台は北海道だ。
「オージー好みの村」
オーストラリア人たちが北海道の片田舎に注目して観光開発をしているなんて、その発想が素晴らしい。いや現実にそうなのかもしれない。
「廃墟に乞う」
表題になっているが、これは作者の人間観が強く押し出された作品だった。その昔見た、黒澤明の『野良犬』を思い出した。終戦直後、同じような環境に育った戦災孤児が一方は刑事に、一方は犯罪者になっているという映画だった。黒澤は、人間の生き方は育った環境ではない「自己責任」に触れていると思う。それは同意しかねるところもある。
この小説も、犯罪者の生い立ちと犯罪を結びつけた。これは話の筋、あるいは背景描写など、それは小説としてはよく出来ているが、私はちょっと引っかかった。
「兄の想い」
犯罪とか加害者の動機よりも、刑事の「つまらない」面子をあきらかにした。それがこの小説の勘所だろう。
動機もベールを一枚一枚剥ぎ取るように明らかになるのだが、それはいくつかの事例がある。
「消えた娘」
犯罪者を一人の人間としてみる作者の思いが感じられた。それは決して「本当の気持ち」とか「人としての優しさ」とかではなく、ゆがんでいても人間なんだということだ。ゆがんだ人間性も、やはり人間性なのだろう。
「博労沢の殺人」
これもそうだ。犯人を意外なところにいる身近な人間にしているが、だれもがそれぞれの思いで人と接触している。親子関係も複雑だといっている。だがしかし人を殺すのは「損得」で物事を考えることができない人間だ。それを利用する人間は許されない。
「復帰する朝」
刑事として復職するには、この程度の勘は必要なのだろう。佐々木譲の小説の主人公は、シャ−ロック・ホームズのような明晰な頭脳があるわけではないが、歩き回り探っているうちに、人間を嗅ぎ分ける能力に長けている。
「日本辺境論」「映画の構造分析」
は、すっかりファンになってしまった内田先生の本です。
これは先生本人が書いていることですが、ここにそんなに独創的なことが書かれてあるわけではありません。それぞれの具体的な問題に対して、優れた学説を当てはめて考えるとこうなるという、そんな本だと思います。しかもそれがとても面白いのです。
わかりやすくて通俗的にではない、そんな本がベストセラーになるなんて、とても良いです。