メーデー

 残念ながらメーデーは年々衰弱しているようにお思います。集まる人数だけではなく、メーデー集会を見ていると、企画や運営にまったく工夫がありません。来年も参加しようと思わないでしょう。
 現在の状況が、労働者にとって非常に厳しいということは、頭ではわかっていても、それを打ち破るためには、何をするべきか、運動や行動として現すことができない、あるいは、もうどうしていいかわからない、という「頭が真っ白」状態に追い込まれている、のかと思います。


 私から見れば、答えは簡単なように思います。団結です。幅広く全労働者を結集させるというスタンスを持ち、とりあえずは現在二つあるナショナルセンター、連合と全労連が統一すればいいと思います。そうすれば内部に多様な意見を抱えるようになりますから、活性化すると思います。そして全労働者にも闘いを呼びかけられるようになると思うのです。
 そんな簡単なことではない、とう反論もあるでしょうが、運動の再生を考えるときに、最初からその選択肢をはずして考えるから、良い考えが浮かばないのではないかな。
 あるいは組合員の意見をよく聞くと言う事も、規定の枠を嵌めていくようになり、幅広い団結、異なる意見との協力を認めないことが邪魔をして聞けないのではないかと思います。
 この日は一日休みを取って、午後から映画を二本『少年と自転車』『アーチスト』を見ました。『少年と自転車』は苦しい人生であっても、人は信じられる、手をつなぐことでよく生きることも出来るような希望を感じさせます。一方『アーチスト』は脳天気な映画です。


少年と自転車』はカンヌ映画祭でグランプリで、『アーチスト』はアメリカ・アカデミー作品賞です。2つの映画祭の性格が良くあらわれているといったらいいのでしょうか。 
 父親に見捨てられた少年の、あがきともいえる生き方は見ていて苦しくなりますが、里親になることを選んだ女性のきっぱりとした生き方に、この映画の魅力を感じます。でも、果たして人間ってこんなにいいものでしょうか。


アーチスト』は、無声映画からトーキーに変わる時代の映画スターの入れ替わりを、ラブロマンスを交えて描いていますが、あまりも平凡すぎるし、ハリウッド映画の良き伝統(素晴らしい芸、明るく肯定的な人間性、夢など)の奥底にあるものが描けていません。
 それは自信と苦悩です。
 それからハーバーランドで、職場の飲み会に合流しました。オクトーバーフェスティバルというドイツビール、ドイツ料理、ドイツ民謡(歌うのは日本人)のイベントでしたが、中身は「残念」でした。
 料理もビールも高いし、海際のために風がきつかったということです。歌は楽しかったのですが、歓談は出来ませんでした。