4月末から5月3日にかけて

 連休も終わり、少しは時間が出来るかと思いましたが、懸案事項につまづいている上に、見たい映画もあり、ボーとして時間ばかりが過ぎています。
 でも心に決めた週2回の書き込みをするために、簡単ですが、この間の事を書きます。
4月25日[朝日]
 「高橋源一郎『論壇時評』」がシューカツについて論じています。私は読んでいませんが直木賞『何者』(朝井リョウ)はシューカツの小説だそうです。そこで描かれる若者は、全て会社に捧げるような「仮面」をかぶることを求められ、そのとおりに「何者」化することをめざしている、が「なんだかおかしい」と胸のうちで呟く、とかいています。
 そして「ブラック企業」としてユニクロを特集した雑誌等を話題にしています。
 ユニクロについて、この間、テレビでも見ました。大ヒットを続ける「ブラトップ」という女性向けの服のことでした。ヒットを続けるために、常に改善を加え続けているそうで、そしてものすごい広いフロアで100人を超える人々が、静かに、わき目も振らず、無駄話もせずに働いている映像が流れました。
 タレントが「ホンマに働いてはる」というコメントを言っていましたが、私は気味悪く見えました。社長が定めた経営理念23か条を句読点まで正確に覚えることを求められ、班ごとに連帯責任が求められるそうです。
 さらにサービス残業ですから、これだから3年で5割がやめるのでしょう。
 同じ紙面に「あすを探る『選挙に頼れない今、対話を』小熊英二」がありました。
 7月の参議院選挙で「自民党の勝利」は動かせない、と情勢分析しています。なぜならほかに「勝つ政党がない」からです。「今の日本では、自民党がそのものが衰退しても、どれほど問題が山積み(原発やTPPといわず、国債が暴落しても)しても、自民党が「勝つ」」、3割が「昔の日本を取り戻したい」と思い自民党を支持(それで良いと信じているわけではない)しているから、残り7割が分散して、相対的多数である3割の支持で自民党が勝つ(選挙制度の問題もあるが)結論になってしまうと、分析しています。
 で、参議院選挙が終われば向こう3年は国政選挙がなく、憲法改正国民投票がある、だから各人が覚悟を決めて「思考停止と『お任せ』を脱し、政治を、社会を、未来を考えてみよう」といっています。
 本当かなと思いますが、そうなる可能性は最も高いといわざるを得ません。自民、維新、民主の一部とみんな、公明とくれば2/3以上にでしょう。
4月28日の「式典」
 [朝日]も[毎日]も、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に批判的です。ともに戦争責任と沖縄に触れています。きわめて当たり前の社説です。
 しかしそうであるのなら、戦後民主主義と平和を掲げた憲法の役割をもっと書くべきではないか、と思います。国民主権日米安保のゆがみに対する深めた議論が感じられません。
 ですから日米安保のおかげで戦争に巻き込まれなかった、とか「あの戦争になぜ追い込まれたのか」という[毎日]はいただけません。
 [朝日]は、普天間の基地移転やオスプレイの配備を批判して、それを「引き受けようという県外の自治体はほとんどない。沖縄の異議申し立ては本土の人々にも向けられている」と転嫁しています。
 なんだか、良識的な世論が批判しているから、批判的に言っただけのように読めました。
 4月27日の[朝日]「政治を語ろう『主権と回復』片山杜秀」が一つの見方を提示しました。
 新自由主義の政権が、国民を切り捨てる政治を推し進めていきながら、文句を言わせないために、日の丸君が代靖国、主権回復、国民栄誉賞と「俺たちは日本人だ」という「連帯感」の演出だと言い切っています。
 もし占領期を問題にし、主権回復を言うのなら、その間に行われたレッドパージの人々の名誉回復こそ、政府の最もするべき仕事だろうと思うのです。
 そして4月26日[毎日]「記者の目『地位協定再考の契機に』[4月28日沖縄「屈辱の日」]にあるように、憲法を押し付けというのなら、もっと明確に押し付けられた日米地位協定をもう少し「平等」にするべきで、その世論を作ることが新聞の役割でしょう。さすが那覇支局、井本義親さんの指摘です。
メーデーのマンネリは裏切りだ
 兵庫県は今でも5月1日がメーデーです。私は連合主催の大倉山球場のメーデーに参加しました。9時に湊川公園に集まって大倉山まで、地下鉄の一駅をデモ行進です。
 本当に久しぶりに隊列を組んで歩きました。メーデーでよかったのは、このデモと、連合会長の挨拶で、メーデーの起源について触れたところだけです。
 8時間労働を実現するために労働者が団結し、血の弾圧を覚悟で闘ったことが語られました。今、我々が曲がりなりにも人間らしく働けているのは、多くの先輩たちの決死の覚悟、弾圧を隊列で跳ね返した団結力であったということです。
 そのメーデーが、この無残さです。何の工夫もない、会長挨拶、知事の挨拶、市長の挨拶、民主党の挨拶です。これが労働者が求めているメーデーでしょうか。
 何でも良かったのですが、去年と違うイベントぐらいは出来たでしょう、と思うのです。一切の工夫メーデーは労働者に対する裏切りだと思います。
 50代が集まると、立体プラカード作りに泊り込みで騒いだ話で、ひと時盛り上がりました。若き日に同じ「釜の飯」を食うと、それは一生の思い出になります。
 労働組合の値打ちは、そこにもあったのです。
朝日新聞労組「第26回言論自由を考える5・3集会」
 ここ数年は憲法集会ではなく、こちらに来ています。1987年朝日新聞阪神支局を襲撃した赤報隊テロに対して、労組が主催して、それをいつまでも忘れず、言論の自由を守る社会のための集会です。今年は「対話が聞こえない『つながる』社会の中で」というテーマでパネルディスカッションがありました。
 パネラーは安田浩一(ジャーナリスト40代)、開沼博社会学者20代)、小田嶋隆(コラムニスト50代)、稲垣えみ子(朝日新聞論説委員40代)、コーディネーター津田大介(ジャーナリスト30代)です。
 ソーシャルメディアによって、個々人がつながる時代になってきましたが、その中で対話し議論を積み上げる言論が希薄になっている時代です。ネットウヨとかブサヨといわれる、一方的に相手を非難中傷したり、間違った根拠や事実無根による「憎悪」が跋扈するITC社会の実像に迫る討論でした。
 とりわけ「在特会」という、在日の人たちを攻撃する人たちのことを安田さんから聞きました。そこに現在の社会の低層に流れる矛盾を感じました。
 開沼さんの「フクシマ論」を買いました。
 

 もう少し5月3日を書くつもりですが・・・。[続く]