『汚れたミルク/あるセールスマンの告発』の感想

市民映画劇場2月例会です。機関誌にこの映画の解説を書きましたが、もう一度見直して、感想も書きました。ちょっと長いですが読んでください。

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ドイツのテレビ局は放送を取りやめたが、映画はつくられた

 カラチのスラム街で暮らす母親たちは、汚れた水でつくったミルクを赤ん坊に飲ませるという間違いを続けました。

 この映画の発端は一九九四年ですが、赤ん坊が脱水症状に陥っている映像は二〇一三年のものを使った、と言っています。

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 ネスレの強欲は明らかですが、パキスタン政府も酷いものです。貧しい階層を救済する、あるいは自覚を高める、社会基盤を整備する政治ではない、と悲観的になります。

 この映画を見て、多国籍企業ネスレの利益追求する商魂である「違法でなければ」儲かれば何でもありの企業倫理を批判するのは容易です。

 一方で、母親の「我が子の異常」に気づき、やめられなかった責任もあります。

 五〇年も前のことですが、公害問題で父と言い争ったことを思い出します。父は「危なかったらそこを離れろ」と言いました。公害企業と闘うのもいいが、子供や家族のことを考えるなら、すべてを投げ出しても逃げるべきだというのです。

 今なら「親はそうするか」と納得する部分もあります。

商業テレビの弱点

 映画の中では「映画は作れない」という結論ですが、工夫と勇気で『汚れたミルク』は作られました。製作者、監督や出演者の英断には拍手を送ります。

 アヤンがドイツに行ってネスレの所業を証言するテレビ番組はつぶれます。その結果、彼はパキスタンに帰れずカナダに難民として受け入れられました。帰れば「命が危ない」という判断でしょう。

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 なぜドイツのテレビ局はネスレの「犯罪」を放送しなかったのでしょう。アヤンがネスレを「恐喝」しているかのような録音があったとしても、ネスレの粉ミルクを汚水で溶かして飲んだ赤ん坊が病気になっているのは事実です。

 ドイツ人ジャーナリストが、ネスレ幹部にインタビューして「ネスレには責任はない」という彼らの言い分も撮っています。

 パキスタンの映像とネスレ幹部の映像を合わせて流せば、客観的事実と当事者の取材もしているので、アヤンの証言がなくとも多国籍大企業の「犯罪性」を知らしめることはできます。

 やはりネスレに遠慮したということでしょうか。ジャーナリストがテレビ局の幹部に「圧力に屈するのか」と怒鳴りますが、ドイツでもスポンサーに忖度することがあるのでしょう。

マス・メディアの影響

 テレビの影響力は強いと、つくづく思います。

 コロナ禍で感染予防や重症者対応など、公衆衛生、医療体制の強化充実が求められています。日本では自公政権のもとで国や自治体のその部門は大きく削減されてきました。

 大阪府・市では維新政治の元で公務労働の合理化と称して、全国トップクラスの削減で、医療崩壊があり、死亡率も高くなっています。また教育現場の荒廃もよく知られています。

 当然、市民からの批判が大きいはずですが、維新は府下の各種の選挙では優勢を保ち、昨年の総選挙で大きく支持を受けています。なぜか、そこにはテレビの悪影響があると私は思いました。

 事実を見るよりも、テレビが垂れ流す知事や市長の「これだけやっている」という演出を多くの有権者が信じる、という現象です。

 テレビは事実と違う現実を作り出します。

 ネスレについては、きれいなCMでよい企業イメージを作っています。「上等な」インスタントコーヒーで著名な「違いの分かる男」たちを出して瀟洒な感じです。

 でも孤狸庵先生が出ている時期から、ネスレは、労働条件の改善を要求するごく当たり前の労働組合に交渉拒否、弾圧、分裂攻撃をかけるなど不当労働行為を平気で行うブラック企業でした。この映画でもわかるように、会社の利益のために貧しい人々の命を顧みず、労働者の人権を踏みにじる最低の企業倫理です。

 旧来のマス・メディアである放送、新聞、出版などは「幻想」づくりに協力してきたと思います。

ごまめの歯ぎしりでも

 企画会議でアヤンの話を聞いた法務担当者は、ネスレからのスラップ裁判を恐れ、責任ある人々は製作中止の決定を下しました。

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 彼らは何を恐れたのか。ネスレが反社会的勢力との繋がりがある、脅迫や暴行などの違法行為を行ったと決めつけた表現は、確証がないとできません。

 そのあたりをぼやかして『汚れたミルク』は作られ、でもネスレの企業責任を問う映画として立派に作られています。

 しかしパキスタンでは上映されていません。ボリウッド映画界で人気の俳優たちが主演しているのですが、娯楽映画のように上映することは難しいようです。

 現在は、選挙によって政権を作っていますが、軍事政権の時代も長く、国民の生活や権利を守ることを優先させる政治ではないようです。現在でも上水道整備や教育が遅れている状況であり、「報道の自由度」も低いまま、多国籍企業の力も強いことがわかります。

 そんなことを言えば日本だって、国民生活よりも大企業を向いた政治で、米軍の傍若無人を許している、という現状です。冒頭で母親の責任に触れましたが、自己責任が強調されるし、福祉も自助が最優先の国です。

 こういう映画を上映、普及、鑑賞することで少しでも情勢を変えていきたいと思います。人間を無知のままにしてはいけない、そのことを強く再確認した映画です。