実は、パソコンの周りには新聞の切抜きと本で埋まっています。映画は手帳の中ですからスペースをとりません。新聞は思い切れば棄てられます。図書館の本も返すから良いのですが、買った本は困り者です。
しかしここに書かれた本はまだ幸せだと思ってください。読みっぱなしもけっこうありますから。
まずは『プロメテウスの罠』(朝日新聞特別報道部)です。すごい本です。今第2巻も読んでいますが、さすが朝日新聞が総力挙げたという内容です。是非読んでください。
幅広く、しかも突っ込んでいます。マスメディア各社はこれに負けないという気概で、記事を書いてください。
さて本の紹介ですが、[3.11]の原発事故を執拗に追っています。現場の人々にはやさしい、同じ目線で記事を書いています。政府内部には厳しい取材攻勢を掛けています。
具体的に紹介します。原発事故後、住民は「本当に危険なら町や警察から連絡があるはずだ」と行政を信じていましたが、町役場も含めて「知らないのはわれわれだけだったんだ」と思い知らされます。住民は「私たちは、国から見捨てられた」ということばを吐きます。
この本がすごいのは「原発だけが悪いなんて、私たちは言えないのよ」という言葉を紹介していることです。
阪神淡路大震災で、私たちは権力機構が被災者の立場に立たないことを思い知らされました。そして私たち自治体労働者は、その狭間にあって苦しみました。
この本は、その苦しみも丁寧に取材しているように思います。
次に紹介したいのは『僕らのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?』(小川真吾)です。これは映画サークルの10月例会『おじいさんと草原の小学校』をより理解するために買った本です。著者はNPOテラ・ルネッサンス理事長で、ちょっと怪しげな団体ですが、内容は良い本です。平和な大陸だったアフリカがなぜ戦火のやまない、民族紛争の国になったのかを明らかにしています。
簡単に言うとアフリカの豊富な地下資源を求める帝国主義の勢力のためです。彼らはそれを手に入れるために、あらゆる手段を使っています。奴隷貿易以後のアフリカが、自分たちの矛盾を巧みに利用されているのです。それを端的に言う言葉は「この時代から現代に至るまで、アフリカの紛争で使われた武器のほとんど全てが、外国で生産されたものという事実」です。
この本は丁寧に説明しています。さすがにアフリカの現地で暮らしてきた人だと思いました。
そして『時の行路』(田島一)です。前の2冊がノンフィクションであったのと違って、これはフィクションの形をとっていますが、自動車製造業に働く派遣社員の闘いを綿密に取材した、とてもリアルな小説です。
読んでいて苦しくなりました。利益の追求を目的とする大企業はここまで非常になれるのか、労働者はここまで踏みつけにされるのか、そして立ち上がる人々は、ここまで頑張るのか、という感想を持ちました。
現実は派遣法の壁がありますから、困難な条件ばかりです。ですから小説もそれを反映せざるを得ません。安易な勝利などないのです。それをわかった上で「未来は我らのもの」という気持ちは、私も持っています。
それが読んでいて苦しい思いをする要因です。この小説と私は少し距離があるのですが、そこを問われているような気がしてなりません。
そして図書館の本3冊。まず『歴史の長い影』(堀田善衛)ですが、これは1980年代の新聞に書いた新聞に書いたエッセイや文芸時評をまとめたものです。堀田さんの思想、世の中を見る視線の位置みたいなものを感じます。特に歴史というものを常に意識して現代を見るということです。堀田さんはヨーロッパ生活が長いのですが、その各地で2000年前の遺跡といった「もの」にも会いますが、中世に造られたルールーが法的に生きているといいます。例えば遺体を他の自治体に移すには沿道の自治体すべての許可がいる、というペストが流行った時代の法律が生きているといったことです。
もう一つ。大江健三郎との往復書簡という形のエッセイ「核時代のユートピア」があって、全体としても面白いのですが、その中のちっとしたエピソード。戦後のドイツ文学が面白くない理由のひとつに、「最大の読み手であったユダヤ人」を失ったという、しかも「誰もがそれを口に出して言いもせず、書きもしない」にしない、という話です。
また大江健三郎も「核状況を憂える『正しい』声の繰り返しに、じつの所ウットウシサを見出している」といいます。このあたりの自分も積極的に関わっている運動への客観的見方に、共感したりします。
『美女』(連城三紀彦)は男と女の短編ミステリーで、久しぶりに連城作品を読みましたが、その心理的な揺さぶりは相変わらず素晴らしい。やはり時々は読みたい作家です。
『烈日』(今野敏)は副題が「東京湾臨海署安積班」とついているように、テレビで佐々木内蔵助がやっている警察ドラマの原作です。これはまあまあという程度です。