二〇一二年の収穫を見て

2012年に見た映画を振り返ってみました。映画サークルの機関誌に載せたものです
なぜ映画を「選ぶ」のか
 多くの分野で一年を振り返った重大ニュースとかベスト○○が選出されます。特に映画はアカデミー賞をはじめとして、業界を盛り上げるために作品、監督、俳優などを表彰するイベントが行われます。
 映画鑑賞運動全国連絡会(全国映連)でも「映画ファンが選ぶ」映画、俳優などに加えてあまり表にでない映画労働者のみなさんの表彰する全国評論賞を設けています。総会で表彰し、ささやかな受賞パーティにお招きし、受賞者のみなさんには喜んでいただいています。
映画鑑賞運動にとっては「表彰する」ということよりもむしろ「選ぶ」ことが大事です。具体的には会員のみなさんからの投票、一年を振り返った感想をどれだけ多く集めることが出来るのかということです。そして映画サークルで、その集計をもとに話をするのも大事でしょう。何を「選び出す」かは、その組織の特徴です。
[3.11]の影響もある
 それぞれが自分の鑑賞した映画を「並べる」と、いろいろな思いが出てきます。一つ一つの映画の特徴を思い出し考え、反省もします。私の場合は見逃した映画が悔しい、市民映画劇場はすばらしいという感想を持ちました。
 神戸では公開本数は増えています。しかし私が見た本数は市民映画劇場も含めて大体五〇本、例年並みです。邦画に印象的な映画が多くありましたが、洋画はこれはと思うものがない(見てなくて)三本、しかも欧州映画ばかりになりました。市民映画劇場は粒ぞろいで順位が付けにくいのですが、面白い映画を挙げました。
邦画の上位に来た映画は、日本の現実に迫っています。そういう意味で『のぼうの城』以外は、厳しい映画になりました。現実に向き合う映画が何本かあるということは、近年の邦画では珍しいことです。あきらかに[3.11]の影響と思います。阪神淡路大震災では、そういう劇映画はほとんど出来ていませんから、両者の違いを感じます。
一方、洋画では現実と格闘するような作品を見ることが出来ませんでした。特に米国映画はC・イーストウッド作品も含め期待はずれです。三本に絞ったのは、あと二本を入れるとすれば『少年と自転車』『ル・アーブルの靴磨き』と今年の例会作品になるので、しつこい感じがしました。その上で『それでも、愛している』を次点にしたのは「個人的な問題」です。
市民映画劇場全体では、世界中(中南米がありませんが)の佳作を上映できた、と評価できると思います。特にアジア、アフリカの情報量が少ない国の映画は、私たちが知らない、そこに生きる普通の人々の力強い姿が描かれていました。
一本一本の短評
邦画
終の信託
② この空の花
希望の国
④ サウダーチ
のぼうの城
終の信託』は最高の映画監督の映画です。事実を下敷きにして、その重さに負けずに、それぞれの人物がはっきりと描かれ、物語はスリリングに展開します。女と男、患者と医師、被疑者と検事の関係が、検事の「巧妙な」取調べを通じて明らかになります。「安楽死」という重い課題を使って、人は生死をどのように考えるのか、検察は何を考えているのか、見事に描きます。
『この空の花』はてんこ盛りの映画です。大林宣彦監督は言いたいことを思いっきり詰めました。長岡の花火の歴史とそれにかかわる人々を縦糸に、現在に生きる人々の苦悩を横糸として織り込んでいきます。全国50箇所に落とされた模擬原子爆弾被害を明らかにするなど、これほど平和の大切さを前面に出した映画は、近年ありません。それが明日を作る力であると迫ってきます。
希望の国』は刺すような映画です。日本人は忘れやすい、大地震原発事故という悲惨なこともすぐに忘れる(今回の総選挙でその兆候はでた)という園子温監督は「3.11」をじっと見つめています。数年後の日本に再び原発事故が発生したという設定で、いまある現実と日本人を生々しく強烈に批判します。
『サウダーチ』はちょっと俯く映画です。荒廃する地方都市の断面が切り取られます。過疎ではないが、人の心も風景も、どうしようもなく荒れていく姿です。それを乗り越えていく峠の峰は見えません。痛めつけられているもの同士が労わりあえない状況が迫ってきます。題名となったポルトガル語に込められた「失われし郷愁」の手触りです。
のぼうの城』は痛快な映画です。二万の兵に対して五百人で篭城した史実がバックにあるから、多少大仰なことでも楽しめます。時代劇映画は、荒唐無稽の要素が多くあってしかもそれが痛快に決まるのが醍醐味です。野村萬斎が奇矯の主君を好演し、佐藤浩市がいい役であったのがうれしくて五番目に滑り込みです。
洋画
キリマンジャロの雪
② 屋根裏部屋のマリアたち
ローマ法王の休日
次 それでも、愛している
(※邦画も洋画も市民映画劇場以外から選びました)
キリマンジャロの雪』は忸怩たる映画です。会社の首切りを呑んだ労働組合委員長は、時代の変化と組合員の状況をきちんと把握せずに妥結します。そのことで、彼の家族は彼の生き方を問う事件に巻き込まれます。厳しい社会情勢に対抗し変えるには老いたものの、もう一度自分たちの生き方を信じる夫婦に拍手。
『屋根裏部屋のマリアたち』は「そんなことって」という映画です。スペインから出稼ぎにきた貧しいメイドたちに惹かれていく中産階級の中年男は、とうとう平穏な家庭を壊して自分の人生をやり直します。くたびれた男が、そんな若者のように決断するフランス人気質は半分うらやましいような。
ローマ法王の休日』は切ない映画です。司祭という聖職に働き、その最高峰であるローマ法王に選ばれたけれども、就任できないと断る男はどこに帰っていくのでしょう。人生経験のない若者ではなく「大人の選択」です。信じたはずの道から迷い出たミシェル・ピコリの巨体が悲哀を醸し出します。
『それでも、愛している』は期待はずれの映画です。うつ休職の体験から関心を持ってみましたが今一歩です。うつはそれぞれ違うからやむを得ませんが、彼を支える人は誰か、がもうひとつ分かりにくい感じです。
市民映画劇場
① 明かりを灯す人
② クリスマスのその夜に
③ バビロンの陽光
『明かりを灯す人』は今一歩の映画です。ユーラシア大陸の真ん中、天山山脈のふもとに暮らす人々にもグローバリズムが押し寄せ、昔ながらの生活では生きていけません。映画は厳しい時代の風を描いています。文明を象徴する電気は生活を改善しますが、時代はすでにユビキタス社会へと飛躍、変貌して人間そのものを変えていきます。村を支える「明かり屋さん」の再生はあるのか、と思いが残ります。
クリスマスのその夜に
『クリスマスのその夜に』は「明日はどこにある」という映画です。みんな暖かい家族を求めていますが、どこかですれ違います。男と女が家庭を作り子どもを生み育てる、というのが「普遍的な」人間の暮らしです。この映画はそれを肯定的にほのぼのと描いているように見せますが、よく見るとそうともいえません。そこに深さがあります。
バビロンの陽光
『バビロンの陽光』は明日を信じる映画です。二〇〇三年当時のイラクの実情とそれを克服する人々の苦しみが描かれます。激烈な戦闘シーンが出てくるわけではありませんが、静かな殺戮の跡地は、いっそう無残です。イラクの現実はここからさらにイラク戦争終戦後」が続いています。そこに射す陽光は一人ひとりのイラク人だと監督は断言しました。