『レ・ミゼラブル』

市民映画劇場7月例会の標記の映画の感想を機関誌に投稿しましたので、ここに載せておきます。
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ビクトル・ユゴーの生き方

映画の構造


 この映画は、長編大河小説の映画化で、しかも台詞すべてが歌であるので、細かい描写よりも画面の迫力とストーリー展開、登場人物の組み合わせによって、人生の悲喜交々を映し出しました。
 出だしの巨大な難破船を引き上げる特撮は迫力があります。ぼろぼろの服をまとったジャン・バルジャン(以下「J・バルジャン」)が貧困と飢えからパン一個を盗み、脱獄を繰り返して一九年間監獄に閉じ込められた怨みを込めて、折れたマストと三色旗を引き起こすシーンが印象的です。
フランス革命の挫折と王政復古の時代、それを転換する象徴と感じました。
 原作者ビクトル・ユゴーが生きた時代は、フランス社会が大きく変転し人心も混乱していました。この映画はそれを背景としています。
 司教の慈悲により「神の御心」を信じて再生するJ・バルジャンと、彼を王党派の世の中に反逆する犯罪者として追うジャベール警部との闘いを縦軸に、小悪党から意地悪な庶民、社会変革を夢見る若者の蛮勇、いじらしい恋心等、同時代に生きる「悲惨な」人々を絡ませます。 
 ユゴー自身の思想は、王党派から共和主義者に転じ、「レ・ミゼラブル」の執筆時期は、一度は期待したナポレオン三世に裏切られ、国外追放を受けていました。
 映画にはフランス革命の象徴バスチーユ監獄跡地の広場と、その脇にある作りかけの白い象の像が何度も出てきます。ラストシーンも、そこにバリケードを作って、天国に行った大勢が集まり「民衆の歌」を歌う演出です。
 始まりはここであり、ここへ帰ろうという呼びかけだと思います。
なぜ究極の対立か
 原作を読まず、ユゴーも知らない私の一番の疑問は、法の番人を自認する厳格な警察官ジャベールが、パン一個盗んだJ・バルジャンを、なぜ執拗に追い詰めるのか、ということです。
 彼は、J・バルジャンが窃盗を改心していることは知りながらも、反社会的な存在と決め付け、監獄にぶち込もうと執念を燃やしています。ジャベールは、監獄で生まれ育ったという生い立ちを持ち、悪人を容赦しません。刑に服さず「神の御心」に従うJ・バルジャンを、同じ階層の出自であるがゆえに近親憎悪のように否定します。
 ユゴーは、ジャベールを王政の忠実な番犬として描き、J・バルジャンを悲惨な人々の良心として位置付けていると見ました。だからJ・バルジャンに命を助けられたジャベールに改心ではなく死を選ばせるのは、終焉する時代の象徴とみなす、ユゴーの厳しい政治性を感じました。