『わたしの叔父さん』解説

市民映画劇場11月例会『わたしの叔父さん』の解説を機関誌に書きましたが、ここにあげるのを忘れていました。遅まきながら載せます。読んでください。

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 彼女の人生は彼女が決める

 この映画はデンマーク映画です。北欧諸国の特徴である個人の尊厳を大切にし、それぞれの人生に対する自己決定(日本でよく言われる「自己責任」とは全く違います)とはどのようなものか、静かに語りました。

 現実社会でも映画を見る時でも、私たちは自分の経験と学習によって得た常識で、人間を推し量り、その人生も考えます。しかし文化や社会制度が大きく違う、異国や過去の社会に生きる人々のそれは、時として違います。 

 『わたしの叔父さん』は教育、医療、福祉などを充実させた社会制度のもとに生きている人々を描きます。ジェンダーギャップ(男女格差)も、他の北欧諸国が上位を占めているのに比べて、デンマークは二九位(二〇二一年)と低いですが、一二〇位の日本とは全く違います。

 そこでの体の不自由な叔父さんの生き方、若い女性クリスの生き方はどのようになるのか、見てください。

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静かな湖面のような

 本当に静かな映画です。農家の朝はどこの国でも早いものですが、クリスも叔父さんも朝日とともに起きだします。デンマーク王国ユラン半島の農村は隣同士も離れているようで、外からの音もなく、静かに静かに映画が始まりました。それは平穏で変化のない日常を暗示しています。

 二七才のクリスは病気で体の不自由な叔父さんと一緒に暮らしています。

 彼女は一四才の時に兄、父親と死別して、叔父さんに育てられました。叔父さんは小規模な酪農家で乳牛を飼っています。彼女もそれを手伝いながら獣医になることを夢見ていました。

 しかし彼女が高校を卒業するときに叔父さんが倒れて、体が不自由になりました。彼女は叔父さんと一緒に暮らし続ける道を選び、今日まで来ています。

 叔父さんの日常生活を助け、牛の世話や搾乳等、主な農作業は彼女が担っています。牛の出産も彼女が処置し、その手際の良さは獣医からも褒められます。

 二人は大きな声で呼び合うこともなく、ささやかな口喧嘩をし、ぼそぼそと明日の予定を話す程度で、決まり切った生活を送っています。

 食事中や居間でくつろいでいる時に流れるテレビニュースの音が、不穏な世界情勢を伝え、頁をめくるように移り変わっていく時代を表します。

小さなさざ波が立って

 そんな生活にも変化が訪れます。

 クリスは獣医のヨハネスに誘われて、一緒に村の家畜を見回るうちに、いっそう獣医という仕事への興味が湧くのでした。

 さらに教会で知り合った青年マイクに誘われて、レストランで食事をします。映画にも行きました。

 クリスと叔父さんの心にさざ波が立ちます。

 ヨハネスに誘われ、叔父さんを置いて、クリスはコペンハーゲンに二泊の旅行に出ます。見知らぬ世界への期待と、叔父さんを残す不安をもった旅立ちでした。

 その時、事件が起きました。叔父さんが転んで病院に入院したのです。幸いなことに軽い怪我で、すぐに退院をしますが、クリスはヨハネスともマイクとも関係を断ち切りました。

 クリスは、強い決意で叔父さんとの二人だけの生活に戻りました。それに叔父さんも満足している様子です。

人生はここから始まる

 ラストシーン、食事をしながら叔父さんを見つめるクリスを映します。彼女はこれからどのように生きていくのだろう、映画は見ている者の想像力に委ねる終わり方をしました。

 クリスは変わった女性で、デジタル社会のデンマークで携帯電話を持たず、映画ではPCを触る姿もありません。食事中に数独を解いています。

 叔父さんも不自由な体でも引退せずに酪農を営み、専門の介護士を頼まず、クリスを手元に置いています。

 二人とも独特の人生観を持ち、社会的な公助よりも、二人がふれ合う時間と空間の濃密さを楽しんでいるようです。しかもその時間が長くないことも知っているように感じました。

クリスが新たな人生の選択をする時期が訪れるでしょう。その時、今回の「さざ波」を振り返りつつも、何の不安も後悔もない、自分の意欲と能力が発揮できる道を選択する、デンマーク社会はそれが保障されているようです。