市民映画劇場2021年10月例会
標記の映画がずうっと心の中に残っていました。私はとても好きな映画なのですが、評価があまり良くありません。それで、私がどう思ったかを書こうと思ってのですが、なかなか筆が進みませんでした。
ようやく納得がいくものに仕上がったので、ここにあげることにします。映画を見た方の感想が聞きたいです。
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人は人に助けられる
人間の心は不思議です。結果的な行動は一つであっても、心の中はいろいろな「思い」「考え方」が錯綜している、と思います。自分では自覚、制御できない「無意識」もあります。
映画は、ベルギーで生まれ育ったアラブ人少年アメットが排他的狂信的「イスラム教徒」となり、彼にアラブ語を教えている女性教師イネスを殺そうとする姿を描きました。
しかし彼がそこまでになる経緯や性格、環境などの特異性は描いていません。むしろ数か月前まではゲームに夢中の普通の少年であったこと、同じように狂信的な「導師」に通う兄は、アメットと違い、サッカーに夢中の普通の少年であると描きました。
普通の少年が、何かのはずみで突然に「洗脳」される、と言うところから『その手に触れるまで』は始まりました。原題は「若いアメット」です。
標的は身近な人に
アメットは、イスラム教に敵対し攻撃する人間ではなく、身近な女性教師イネスを攻撃の標的とします。彼女はムスリムでありアラブ語を教えますが、ベルギー社会に溶け込む志向です。
彼は、彼女を背教者と決めつける「導師」を信じ込み、殺さなければならない、と思い込みます。その一方で殉教した従兄に強いあこがれを持っています。
アメットは小さなナイフを持ってイネスの家に押し入りましたが、失敗します。そして少年院に収容されました。
「導師」は無責任で口先だけの男と明らかになります。それでもアメットは少年院で、プラスチックの歯ブラシの先を尖らして、密かに殺害の機会を狙っています。ここまで狂いました。
少年院は、そんなアメットを普通の非行少年のように扱いました。イスラムの信仰を尊重しますが、院内のルールを最優先するという姿勢を見せます。農場での人や牛とのふれあい、青空の下での農作業が日常生活に組まれています。
彼は本心を隠し、表面的には落ち着きを取り戻したかのように見えました。
脆い心の揺らぎ
農場の娘ルイーズはアメットに関心を持ちます。青空の下で軽くキスをしました。アメットは激しく動揺し嫌悪ではなく彼女に魅かれます。しかしルイーズにイスラム教への改宗を拒否されたことで、彼の心はいきり立ち、脱走してイネス先生殺害に向かいました。
何も持たないアメットは、古い釘を抜き取り、それを武器に、やみくもに教室に入ろうとし雨樋を伝い上り、そして落ちました。
体は動かず声も出せないほどの重傷で、死の恐怖に直面しました。
その時、救いの手をさしのべてくれたイネス先生に謝罪しすがります。映画はそれで終わりました。
この後アメットはどうなるのかを映画は明示しません。幼く脆い心が暴走して壊れたところまでです。イネス先生に「ごめんなさい」という声は小さく弱弱しいものでした。
人間の見方
アメットは家族のもとに戻ってくる、というのが私の見方です。
アメットがなぜ「狂信的」になったのか、なぜイネス先生を標的にするのか、窓枠から落ちた衝撃程度で、彼の「洗脳」が解けるのか、わからないことばかりです。
映画は、そんなことはわからなくてもアメット自身と彼を取り巻く環境が明示できれば、人間がどう変わるかわかるだろう、と言っているように私には伝わってきました。
アメットはイスラム教のことは何もわかっていなくて、殉教した従兄弟にあこがれ、いい加減な導師に引き付けられた、幼い精神です。だから行きつくところまで行ってしまったのです。
それは彼のアイデンティティとコンプレックスが絡み合ったものではないかと思いました。
彼の行為はテロ、テロ組織とは全く無縁で、むろんイスラム教とも無縁です。むしろDVの感情か、と思いました。イネスはアメットが幼いころから面倒を見てきた女性であり、母親に近い存在です。彼は、母親に対してお酒を飲むことや服装をなじりました。
プラスチックの歯ブラシや折れた釘を凶器と見て、拒否反応する人は、それをテロの萌芽と見るのでしょうか。それは肉体に多少の傷を負わせるだけです。
私は、人は他の人に助けられる存在だと思っています。アメットはまだ幼いのです。彼に手を差し伸べる人がいて、手助けする環境があれば大丈夫です。
母がいてイネス先生がいて、ルィーズを好きになるアメットは、きっと立ち直ります。でもそれは私の甘い人間観かもしれません。