『ファミリア』『ミス・マルクス』『グッドバイ・バッドマガジン』『モリコーネ』『暴力脱獄』『警官の血』6本でした。とりあえず4本書きます。
『ファミリア』
豪華キャスト、最高峰のスタッフと宣伝していましたが、なんとも大雑把な映画でした。役所広司が主演し、佐藤浩市がちょい役で出ています。他の若手の俳優は知りませんが、豪華なのでしょう。
山里で陶工として暮らす男、神谷誠治(役所広司)は妻に死に別れ、息子はアフリカの巨大プラントの技術者として海外にいます。
息子はその地で嫁にしたい女と知り合い、連れて里帰りしてきました。そして「親父の後を継ぐ」と言います。
ちょうどその時に、誠治は半グレに暴行されている、近くの団地で暮らす日系ブラジル人を助けます。映画は、日系ブラジル人労働者が直面している厳しさと、異常性格の半グレ達に付きまとわれている姿を描きました。
そしてアフリカに帰った息子が誘拐テロにあって人質になったという連絡がきます。
たいそうな事態に発展しますが、私にはリアリティが感じられませんでした。外国人労働者問題の本質に迫っていませんし、政府の海外でのテロ対策にも無策を暴露するだけでした。
そこにある本質的な問題を描けとまでは言いませんが、それらしきこと、社会的な問題にたいする映画作家が認識の片鱗が欲しいと思うのです。
人間社会にはいろいろなことが起きますが、それを天災のように描くのはおかしいと思ってしまうのです。個人の責任よりも、ある程度、社会的な原因、構造を解きほぐす追及をするべきでしょう。
『ミス・マルクス』
市民映画劇場の映画で、カール・マルクスの娘エリノアの、父の死後の短い後半生を描きました。
彼女は父の手伝いをするほどの能力もあり、父の思想を踏まえた社会活動を行っていましたが、43才で自死しました。
19世紀末のイギリス、女性差別の厳しい時代ですが、エリノアは労働者と女性の権利を確立するために闘っています。しかし彼女が伴侶して選んだ男は、お金も女性関係もいい加減な男でした。
なぜ彼女は、そんな男に惚れたのか、というのが、この映画の焦点でした。
『グッドバイ・バッドマガジン』
私の年代はビニ本と言っていました。立ち読みが出来ないようにビニール袋に入れてありました。セックスを写した写真雑誌で、自動販売機があった記憶もあります。でもそれは違うかもしれません。未成年が買える環境はダメですからね。
私は書店で買った記憶がないのですが、もしかしたら古本屋であったかもしれません。
それはともあれ、成人向け雑誌の編集部で働く女性を主人公にした、実話に基づく映画でした。
大学を卒業して出版社に就職した詩織の配属は、コンビニで売られている成人向けの写真雑誌の編集部です。そこには女性も含めて、変な人が多い職場でした。
性の解放とか検閲や権力に抗する、なんてものはありません。何が読者に受けるのか、興奮させるのかを考えますが、法律はきちんと守るというスタンスです。
DVDが付録についているそうです。知りませんでした。それが東京五輪の影響でコンビニから一掃されたといいます。それも気づきませんでした。
映画はもっと刺激的かと思いましたが平凡でした。
『モリコーネ』
改めて音楽の力を知りました。映像の効果を一段と固める役割です。西神9条の会に書いたものを載せます。
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映画の娯楽性と芸術性
原題は「エンニオ」というファーストネームです。邦題の副題に「映画が恋した音楽家」が付いています。まさに映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネの魅力と偉大さを描いたドキュメンタリーでした。
映画は彼自身の語りとその作品、そして多くの映画監督や作曲家が話すモリコ-ネの魅力から構成されています。
彼の魅力は、挿入された短い映像と音楽を聴いただけで映画自体を「見たい」と思わせる、その独創性です。
作ったのはジュゼッペ・トルナトーレ、傑作『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督です。彼は自身の映画音楽のほとんどをモリコーネに依頼しています。心底からそのすばらしさを知っていたのです。
私の印象に残るのは初期の作である『荒野の用心棒』(監督セルジオ・レオーネ)です。ギターと口笛の組み合わせは斬新でC・イーストウッドの登場から引き込まれました。
マカロニウエスタンから始まり、多彩な映画の音楽を担当してきました。その数は約500本と言われています。
しかしアカデミー作曲賞はなかなか取れず、2007年に映画音楽への貢献を評価されてアカデミー特別賞を贈られます。その後2016年に6度目のノミネートで作曲賞を受賞するという伝説を作りました。
晩年になっても、自分のキャリアを否定するようにスタイルを切替える曲を作りました。
革新と独創
映画は映像のモンタージュ(組み合わせ)だけではなく、音楽とのモンタージュも大切です。監督、音楽担当によっては既成の音楽を当てはめる場合もありますが、モリコーネは必ず、その映像にふさわしい音楽を創作しました。
彼の特性を表す言葉をこの映画から拾うと「映画音楽と実験音楽」「音楽で人物を表現する」「ノイズも音楽」でした。
モリコーネが映画音楽に携わった時代では、その芸術的価値は低いと見られていました。彼も何度か辞めようと思ったと言います。しかし生活音やノイズも音楽だという感性、映像や人物を把握する能力が、映画音楽を素晴らしいものに作り上げました。
タランティーノ監督は「現代のモーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトだ」と讃え、モリコーネは「それが分かるのは200年先だ」と答えました。