2024年6月に見た映画

20246月に見た映画

『タイガー裏切りのスパイ』『罪深き少年たち』『ダンサーインParis』『マグノリアの花たち』の4本でした。

 6月は本はたくさん読んだし、いつもより演劇鑑賞会の会議、原稿が増えた上に、大腸カメラを飲むなど、忙しい月でした。だからこれだけです。『マグノリアの花たち』はDVDですが、大勢で見たのであげておきます。

『タイガー 裏切りのスパイ』

 インド映画です。

 インドの超人的な諜報部員が、パキスタンの軍部のクーデターを阻止するという映画でした。パキスタンとインドは宗教が違うことを理由として、英国の植民地から解放、独立する時、分離しました。インドはヒンズー教パキスタンムスリムです。それ以後、領土問題もあり、色々と仲が悪いようです。

 そんなパキスタン内部の争いをインドの諜報部員が介入して、現政権を助けるのです。そこにどんな政治的意味があるのか分かりません。

 CGを使うなど、破格のアクション映画だと思いました。それ以外はそんなに見るべきことはありません。「ボリウッド」はハリウッドに負けない特撮を駆使しています。

『罪深き少年たち』

 韓国映画の社会派の傑作です。西神ニュ-タウン9条のHP7月号に書いたものを再掲します。

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正面から警察の犯罪を描く

 実際にあった冤罪事件をもとにした映画です。

 1999年韓国の全羅北道で発生した強盗殺人事件で少年3人が捕まりますが、それは警察、検察によってつくられた冤罪事件でした。

 3人の少年たちは刑期を終えた後で再審請求をし、16年を経た裁判で警察、検察の証拠捏造などが明らかになり、無罪となりました。

事件の概要

 深夜、田舎の小さな商店に強盗が押し入り、金品が盗まれるとともに、寝ていた70歳の老女が殺害されました。数日後、些細な前科を持っていた3人の少年が逮捕されて、そのまま彼らは自供して検察に送検されました。担当した刑事たちは昇進しました。

 その翌年「狂犬」とあだ名される刑事ジュンチョルが赴任します。彼のもとに「真犯人は別にいる」という密告電話が入りました。

 ジュンチュルが独自に再捜査をすると、物証もなく、自供だけしかないことに気づきます。それも辻褄が合いません。少年たちは真犯人ではないと確信しました。彼らは刑事たちの拷問に脅されて自供していたのです。

 ジュンチュルは真犯人と思しき3人にたどりつき、検事に訴えます。しかし逆に警察、検察幹部の罠にはまって、ジュンチュルの捜査は過ちとされました。彼は辺境の勤務地に飛ばされます。

 十数年を経て、定年間際になったジュンチュルはお情けで、元の警察署に戻されました。

 そこへ少年たちの再審請求する弁護士がやってきます。殺された老女の娘も自分の誤った証言で無実の少年を犯人にしてしまったと、ジュンチュルに再捜査の協力を求めました。

 しばらく逡巡したジュンチュルは決然と警察組織と闘いました。

証拠の捏造

 金大中が大統領になったのは1998年からですから、韓国の民主化もまだまだ未熟な時期です。普通の刑事事件でも拷問が横行し、しかも証拠の隠蔽、捏造が行われています。

 映画のラストでは、この事件に関わった警察、検察で処分された者はいない、というスーパーが流されました。

 これは日本の袴田事件を連想させます。物証がほとんどない中で自白が重要視され、被疑者に有利な証拠は隠し、証拠の捏造疑惑もあります。

 映画が上映されている時期に「飯塚事件」(1992年二人の女児が殺害、確定的な物証はなく、逮捕された「犯人」は最後まで犯行を否定、しかし2008年に死刑執行)の再審請求が却下されたというニュースが流れました。

 弁護士は有罪の「証拠に疑義がある」と再審請求しましたが、裁判所は、疑義を認めながら「犯人ではないという明らかな証拠ではない」といいました。露骨なぐらい検察よりの見方です。

 日本の裁判所は、現在でも「疑わしきは被告の利益」が通りません。 

『ダンサーin Paris

 市民映画劇場6月例会でした。

 バレエのエトワールになって活躍しようかという女性が、舞台で大怪我を負って、バレエに復帰が出来ないまま、失意の生活でしたが、コンテンポラリーダンスに出会い、新しい恋人も出来て、そこで再生するという、いわば理想的な人生成功物語でした。

 でも主演が本物で、脇も一流ダンサーですから、ダンス好きにはたまらないものです。

 ストーリーは俗ですが、主人公の周辺の人間、画面の端々を細かく描きます。それが面白いと思いました。現代にあるフランス社会の階級制、ジェンダー問題を必然のように描きました。

マグノリアの花たち

 神戸演劇鑑賞会の8月例会ですが、1989年に映画化されてDVDがあるので、それを10人程度で見ました。

 もとは戯曲で、芝居がブロードウェイなどでヒットして、映画化されました。

 正直に言うと、これは市民映画劇場で上映しない映画です。1980年代の米国、南部の現実、社会的矛盾を描いていないからです。黒人はほとんど出てきません。古き良き米国の中産階級の家庭の話です。主な登場人物は、街中にある古くからある美容院に集まる6人の女たちです。

 芝居では、場所は美容院だけで、出てくるのは女たちだけです。

 しかし映画ではそうはいきませんから、彼女たちの夫も出てくるし、街の様子や彼女たちの家も出てきます。プールがある豪邸です。米国の中産階級とはこのレベルだと描いています。

 もちろんそこには戯曲が描く矛盾はあります。主人公の一人が重い糖尿病を患っていて、子どもを産むことは母子ともに生死にかかわる、と言われていたのに「自分の子どもが欲しい」から、その母の反対を押し切って、子どもを産み、そして死んでいくという話になっています。

 しかし映画で見ると、それがなんとも軽く見えました。

 ジュリア・ロバーツが娘、母がサニー・フィールドでしたが、そこでも感情のぶつけ合いは見事でした。

 恐らく芝居は、もう少し焦点を絞っているから、矛盾はわかりやすいと思います。