映画の感想、批評は書けても本の感想や書評はなかなか書けません。「なぜか」と考えますと、本を丸ごと消化してすばやく取り入れるのは難しいからではないか、と思います。映画は直感的に「これだ」と思うものがあるのですが、本は「あれもこれも」と思っているうちに忘れてしまったり書けなくなってしまうのです。
とはいっても本も読み続けています。適当に数えると10月末で87冊になりました。
今年の春に、ここに書こうと書き始めたものがあります。途中で止まったままでしたが、ちょっと気分的に余裕が出来たので、書き足して以下に載せます。
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『特権キャリア警察官』『裁判所の正体―法服をきた役人たち』瀬木比呂志・清水潔『絶望の裁判所』瀬木比呂志『不当逮捕築地警察交通取り締まりの罠』林克明
昨年末から警察、裁判所のノンフクションを続けて読みました。
ミステリーが好きで、探偵ものも藤田宜永『帰り来ぬ青春』『潜入調査』他(還暦探偵=竹花)や柴田よしき『シーセッド、ヒーセッド』『ア・ソング・フォー・ユー』他(保育園長探偵=花咲)が描く探偵が好きで、追いかけて読んでいます。ホームズやポワロは大昔に読みましたが、今はあまり触手が動きません。謎解きよりも事件の周辺人物などが面白いのがいいですね。
しかし最も多く読むミステリーは、事件を追うのは探偵よりも警察、検察が中心になっています。書かれているミステリーがそうなっているからです。探偵が活躍するのは現実的ではないので、少なくなっているからだと思います。
また時には『量刑』(夏樹陽子)のように裁判所の内部を見せるものもありました。それで、これら権力側の組織の現実がどうなっているか、と思って標記の4冊を読みました。
キャリア警察官
『特権キャリア警察官』は全国30万警察官のトップにいて組織と人を支配している600人のキャリア組とはどのような人々かを紹介しています。批判的だが鋭く切り込んだ感じがあまりせず、主に仕組みを紹介しているみたいなものです。独自の取材で書いた感じがあまりなく、不祥事なども新聞や週刊誌の記事を集めた程度です。
キャリア警察官はわずか0.2%、高級官僚として他の省庁ではなく警察機構を選んだエリート集団で、彼らはすごいスピードで出世していきます。採用されて警部補から始まり(地方採用は巡査にはじまり巡査部長、警部補)昇任試験もなく選考で警部、警視、警視正、警視長、警視監、警視総監と上がっていきます。警視総監は一人だけで警視庁のトップを務める者です。国のトップである警察庁長官には階級はありません。
彼らは、20代で地方の警察署へ課長級でやってきて、その時は、実質的に指揮能力はなくてお飾りみたいなものだろうが、経験を積みます。それから様々な部署地域を回って、彼ら独自の全国的な情報網と絶対的な権力を得ていく仕組みになっています。
なお地方採用の警察官でも警視正以上になれば国家公務員になる制度です。
この本では出世しても「人間的な能力が磨かれるわけでもないから、腐敗していく」だけと辛らつにいいます。
そして現在の政治情勢の下で、警察権力が官邸と結びついている、と指摘します。警察機構の人事は内閣官房人事局から除外されているそうだが、官邸秘書官などに任命されることで、出世のコースに乗ることから、接近しているというのです。情報、捜査、暴力が権力と直接結び付く危険性が増している。秘密保護法や共謀罪法などが、これからどのように使われるか、治安維持法に近いものになる可能性があります。
例外的なキャリア警察官が事件捜査で活躍する小説は、今野敏『隠蔽捜査』シリーズと大沢在昌『新宿鮫』シリーズがあります。
『隠蔽捜査』の家族の不祥事で降級されたキャリア竜崎伸也警視長のように、出世では多少落ちこぼれでありながら、人間的にも能力も高く、部下に尊敬されているというのは小説の世界でしょう。
このシリーズでは、現在は地方の警察署長である竜崎警視長が、俗物的なキャリア警察官とぶつかるたびに、彼らの中にある職務職階よりも採用期と階級を優先させる出世ルールを「三つ葉葵の印籠」の様に使って、職務上は上の人間を遣り込めるところが痛快です。
でも小説の上では謙虚で立派な人間像である竜崎ですが、同じキャリアの弱みを突くけっこう嫌味な人間だと思います。
大沢在昌『新宿鮫』シリーズの鮫島警部はキャリア警察官でありながら、所轄で事件の現場捜査を担当しています。
鮫島は単独捜査をしていて、そういう特殊な刑事として動くのに、わけありの元キャリアにすると都合がいいということです。小説も事件をメインに書かれていて、政治家や高級官僚が出てくるときにキャリア出身が取りざたされますが、警察機構との日常的な軋轢はあまり描かれていません。
彼は体を張って犯罪者に向かいます。犯罪者にはキャリアは関係ありませんし、徹底して落とされた人間ですから、私的には竜崎よりもいい人という評価です。
裁判官の俗人性
『裁判所の正体』『絶望の裁判所』も大変な本でした。前者は元裁判官で現在大学教授の瀬木比呂志さんとジャーナリストの清水潔さんの対談で、後者は瀬木さんの単著です。
外部の目と内部の目で、どちらも厳しい裁判と裁判官の実像が語られています。そこでは最高裁の長官と事務総局が司法全体を支配、管理、誘導する力(人事権と判例)の実態も明らかにされています。
三権分立の民主国家、法治国家を守る役割として裁判所に期待していた独立、公平、真理の追求は幻想、という感じでバッサリでした。確かにこれを読むと高潔な裁判官というイメージは壊れます。非常に頭はいいが世間知らずの人間が、良心を磨くよりも上を見るヒラメ裁判官が多いと言います。
『絶望の裁判所』では特に21世紀に入ってからは、その傾向がひどくなり人間的な魅力も失っている、といいます。フィクションと言っていますが、瀬木さん自身の経験に基づいている感じです。彼はかなり出世コースに近いところに裁判官だったようですから、この小説の主人公に近い存在でしょう。
この本で、裁判官には民事系と刑事系があることを知りました。民事系の方が数も多くて出世争いでも優勢でしたが、裁判員制度の導入後、それが刑事系に変化したと言います。それも最高裁長官の意向によるものです。
原発裁判のことが取り上げられています。巧みで強い圧力がどのように裁判官にかかるか、その結果、国策に沿った判決、判例の積み上げがなされるかが分かります。
また行政訴訟もほとんど勝てない。それは法務省と裁判所の人事交流があり、裁判官が当事者にもなるという矛盾が隠されています。
良心的で優秀である裁判官を縛るものは①閉鎖的な職場領域、②出世競争、③広域的な任地で、だれもが追い込まれる俗人的な欲望とストレスに弱いということです。
刑事裁判の有罪率99.9%の陰で多くの冤罪が生み出されると思いますが、優秀な警察、検察が有罪に出来るものだけを上げる、ということだけではなく、それに心理的にも能力的にも逆らえない裁判官がいる感じがしました。
冤罪に加担する者たち
その典型的な事件があります。それは『不当逮捕築地警察交通取り締まりの罠』にある交通違反でっち上げ事件です。
2019年11月11日NHKが「逆転人生」で、この事件の被害者を招いて、その後の国賠訴訟まで含めて、警察、検察、裁判所の実態を放映しました。(NHKよくやった)
この本は実際にあった事件のノンフィクションです。恐ろしいことが書いてあります。
築地警察は交通違反も何もしていないのに、交通取り締まり巡査、二人の婦警に逆らった、気に障ることを言った、ということで、ごく普通のすし屋の夫婦を交通違反、公務執行妨害をでっち上げました。
何もやってもいないので不起訴になるのですが、19日間も拘留されます。それに対する国家賠償請求訴訟を起こしますが、9年もかけて、やっと勝利できたというものです。
婦警に対する暴行をでっち上げ、検察もうすうす事情は分かっていながら「不起訴にする」から暴行のストーリーを作って、これを認めさせます。起訴されると100日ぐらいも拘束されると脅かされて、被害者は不承不承、認めて釈放されます。
その後、被害者は我慢が出来ずに国賠訴訟をするのですが、この裁判もひどいものです。裁判所はたくさんいる目撃証人も呼ばず、警察にある調書、証拠の類も一切出させません。国側弁護人は公務を執行した婦警の調書さえ「プライバシイーに触れる」と言って拒否します。
しつこく要求して婦警の調書を出させ、そこにある一つの嘘を指摘すると、芋づる式に嘘の積み上げが暴露されます。
裁判所も婦警の証言がいい加減であることから、被害者に240万円の賠償金を認めました。しかしこの冤罪にかかわった警察、検察にかかわる人間はいっさいおとがめなしで、謝罪することもありません。NHKの取材に警視庁は何も答えない、と放送されました。
これを読むと警察だけでなく検察も裁判所もいかにひどいものであるかわかります。
香港の警察もひどいものですが、日本の警察、司法も人権無視という点では負けていません。拳銃で撃たれないだけでもまし、という感じです。
今度は検察、公安警察について書かれたものを読もうと思います。