2024年春のマラソン旅行その2

神奈川県小田原市尊徳マラソン大会38日~11

 新幹線で三島まで来て、そこからレンタカーで伊豆半島の中央部を南下して8日は下田温泉、そして伊豆半島の東側を北上して、小田原のビジネスホテルに910日と連泊でした。10日にマラソンを走って、11日に新幹線で帰って来ました。

 小田原2泊でしたが市内を歩いてみただけで、そんなに観光した気分ではありません。伊豆半島は自然と歴史が調和した感じでよかったです。

 8日新幹線から降り立った三島駅は、2019年にきました。富士山からの湧水がとてもきれいな公園と街中の渓流が印象的です。

 この日はすぐにレンタカーを借りて、伊豆半島を南下し、浄蓮の滝と天城峠をめざします。

 途中で、伊豆半島ジオパークミュージアム・ジオリアによって半島の成り立ち、地形の特徴など見ました。自動車で走りながら、大きな狩野川が北へ流れるのがちょっと変な感じです。

 浄蓮の滝を見て、天城峠は、国道414号の新トンネルを通っただけです。ここは『伊豆の踊子』ですね。

 しかし時間があまりなくて、越えたところの河津七滝(かわづななだる)をちょっと見て、下田温泉、下田ビューホテルで宿泊です。


 9日は下田周辺の観光ですが、半島の最南端の岬、石廊埼灯台に行きました。太平洋の荒波がつくる自然の洞窟なども見ました。そして城ケ崎海岸をちょっと歩いて、静岡県内でレンタカーを返す必要があるので、湯河原でJRに乗りました。

 910日小河原市内のビジネスホテル二連泊です。夕食は近くの居酒屋でした。

 10日は小田原尊徳マラソンを走りました。小田原市内を流れる大きな河川、酒匂川の護岸を2周するコースでした。富士山がまじかに見えました。

 10日の午後と11日の午前で小田原駅周辺の街歩きです。小田原城と小田原郷土文化館、二宮尊徳の報徳博物館に行きました。

 小田原城は後北条五代の居城ですが、現在のものは天守閣だけです。城内にある郷土文化館も行きましたが、よく覚えていません。樹齢400年と推定されている松の巨木があり、これが立派でした。

 城の堀の側にあった二宮尊徳の博物館は立派な建物でした。


 小田原の中心市街地は意外と落ち着いた街並みでした。そして海が近いですね。

大分県国東市とみくじハーフマラソン大会329日~41

 自家用車フィットで行きました。29日は山口県山口市国民宿舎30日は国東市の山の中の温泉旅館、31日にマラソンを走り、そのまま山口県光市まで帰って温泉旅館に泊りました。41日に帰神という、ちょっと強行日程でした。

 山口と大分の観光でした。

 29日の午後に岩国市について岩国城錦帯橋の見物です。大きく蛇行する錦川の河原の駐車場に車を止めて、ロープウェイで山頂の岩国城に登りました。麓には吉川家史料館がありました。

(山の上に小さく岩国城が見えます)

 

 この日は山口市国民宿舎あいお莊に宿泊です。近くで車エビの養殖をしていてそれが名物料理になっていました。

 30日は大分県に入りました。中津城址、宇佐平和資料館、大分県立歴史博物館、宇佐神宮と回りました。

 戦時中、宇佐には海軍の航空基地がありました。それは特攻基地であり「人間ミサイル」と言っていい桜花がありました。それを展示しています。残念ながらここも、アジア太平洋戦争全体が分かる説明書きはありません。

 歴史博物館は立派な建物ですが、あまり人はいませんでした。学芸員の方からゆっくりと、国東半島の仏像群の話と全国に約4万社ある八幡神社の発展の歴史を聞きました。

 八幡神はもともと大分地方で信仰された土着神でした。それを信仰する有力な豪族が、大和朝廷が南九州征伐(隼人、熊襲とか)に来た時に、協力してその先兵となって戦ったということで、その後、大和朝廷の守護神となり、全国各地に広まっていったものです。応神天皇を主神としていますが、それは後から加えられた話です。

 宇佐神社は総本宮というだけあった大きな敷地でした。

 その日は国東半島の山の中にある湯の里渓泉に泊まりました。

 


そして31日はとみくじハーフマラソンを走り、一路、山口県光市にまで帰りました。亀の井ホテルせとうち光に宿泊しました。

 41日は防府市の毛利博物館と山頭火ふるさと館を見ました。

 山頭火豪農の出だったようです、父の代で落ちぶれて、山頭火でつぶれたみたいな感じです。放浪の俳人ですが、けっこう名誉欲もあったようです。そのあたりは意外でした。

 八幡神社が全国に広まった話は、はじめて聞いたのですが、これが歴史的な事実のような気がします。