『夜の来訪者』の感想

20241011日神戸演劇鑑賞会10月例会俳優座劇場プロデュース公演

 どうも納得がいかない芝居でした。それはなぜなのか、色々考えると長くなりました。

時代と国、地域を意識して

 芝居でも映画でも、いつの時代を描いているのか、どこの国、地域なのかを考えています。しかし星新一ショートショートではそんなことは考えません。その違いは何か、を少し考えました。

 星新一の世界は時空間的に瞬間であるから、だと思いました。彼の作品は、そこで普遍的な人間の本質を抉るのです。

 一般的な映画、芝居はそうではなくて、ある時空間に生存する人間たちを描くので、必然的にその時代、地域に縛られます。普遍的ではなく特定の人間です。だからそれらを知ることは、芝居や映画(もちろん小説でも)を理解するためには、とても大事なことだと思っています。

 特にミステリーは、社会システムと人間の心理の在り様によって成り立つ論理的なものだと思っています。例えば特権階級が認められる社会で、普通の人々では犯罪だが、彼らには罪にならない場合、ミステリーは成り立たないと思うのです。

 戦前の日本では、朝鮮人虐殺や警察の拷問死など、罪に問われませんから、それに謎を付ける事件は無いでしょう。

 極端な事例を言いましたが、あの時代、現代でいう貧乏人の人権は重要視されなかったと思います。とりわけ特権階級から見れば「そんなものはない」と思う人が多いと思います。

 ですから日本を舞台にしていても江戸時代なのか明治、大正、昭和、アジア太平洋戦の前か後なのか、時期によって、事件の描き方と人々の心理は全く違うと私は思うのです。

敢えて日中戦争の時期

 この芝居は1946年の初演で、もともとは1912年(第1次世界大戦前)の英国を設定しています。それを翻案して、1940年の日本にしました。だいぶ違う社会です。(一度は戦後に設定した芝居もあったようです)

 英国は大英帝国、植民地の時代ですが、本国では議会制民主主義という社会です。

 1940年の日本は日中戦争の真っただ中で天皇制国家、軍事独裁政治です。「満蒙は日本の生命線」が多くの国民の合意であり、財閥は中国大陸に進出することでより大きな利益を得ようとしました。この芝居にも財閥の当主、倉持幸之助の大演説として出てきます。

 原作とちょっと社会全体が違うと私は思います。

 そこでの警察と財閥の力関係はどうだったのか。英国のそれは良く知りませんが、日本では財閥に所属する人々、その系列にいて序列の高い人々は、警察は番犬扱いだったと思います。決して庶民、労働者の味方ではありません。所轄の警部レベルに「恐れる」とか「一目置く」ことはないでしょう。

 ですから、最初から、倉持幸之助と影山と名乗る警部の関係(倉持幸之助が何か警察を恐れるような態度、心持が表現される)に納得いきません。最初からそういう思いがあったので芝居全体が茶番劇のように見えました。

ミステリー仕立てだが

 そういう思いを保留して、芝居の筋を追い、そしてこの芝居の狙いを考えました。

 夜、家族の団欒の時間に、見知らぬ警部が突然訪ねてきて、財閥一族の家族全員、当主、その妻、娘、息子そしてその場に居合わせた娘の婚約者に対して、自殺した一人の女の話を聞くように強制します。そして順々に彼らひとり一人が自殺した女に行ったひどい仕打ちを、全員の前で明らかにしたのです。

 この時に「この女を知っているな」と写真を示しますが、全員ではなく個別に見せるという「種」を仕込みました。

 「あれ」と私のセンサーが作動して、何らかの作為があると感じます。

 次々と自殺した女との関係が明らかにされて、全員が動揺しました。これが警部(偽の可能性が高い)の狙いでした。

 悪罵を投げつけて警部が去った後で、観客もこの家族も一人の女の話だと思っていたものが、冷静に調査してきた女婿から、別々の女の話(可能性として)と説明を受けました。しかも女婿が市民病院に電話して「自殺した女はいるか」と問い合わせると「いない」という答えです。さらに署長から影山という警部はいないし新任の警部もいないという連絡も入りました。

 すべて「インチキ」「詐欺」なのか「では何をするためにあの男は来たのか」という疑問が残ります。

 影山警部(自称)は言いたいことだけを言って帰ります。倉持一家からは娘はかなり動揺し謝罪しますが、それ以外はいい加減な対応ですし、ましてや金銭など何も得ていません。

 倉持一家の証言からも影山警部が言ったことは事実ですが、芝居は最後まで彼の目的を明示しませんでした。

 ミステリー仕立てですが、謎だらけの芝居でした。これから、私は何を受け取ったのか、結局それも不明でした。

 ストをしたから首、不愉快な店員だから首、売春宿の娼婦を捨てた、慈善施設で気に入らない女性の訴えを切り捨てた、結婚の約束もせずに女性を妊娠させた。天皇国家の日本では、一つ一つはことは何の犯罪でもない、ありふれた出来事です。財閥一家に道徳を説いても「良心の呵責に耐えられない」と思うかどうかでいえば、大金持ちに安住する人たちは悩まないと思います。

 芝居を見る庶民に対し、財閥一家はこんなにひどい連中ですよ、という芝居だと思いました。