追悼 新藤兼人

 新藤兼人さんが5月29日死去しました。100歳です。その偉大な映画人生に敬意を表し、心より哀悼の意を表します。

 最後の映画になった『一枚のハガキ』は、私の中では『裸の島』と並ぶ心に残る映画でした。そんな映画を97歳で作り出した脚本家、映画監督としての力量は、日本を代表するといっても過言ではないでしょう。
 正直にいうと初期の頃は、映画監督としての力量を私は評価していません。ドキュメンタリー作家のような撮り方が、ちょっと嫌でした。しかし最後はそのスタイルに脱帽です。
 その作風は一貫して戦争に反対し、貧しいものの立場に立ち切っています。にもかかわらず、多くの新聞が追悼の記事を掲載しています。[讀賣]は神山征二郎監督の談話を載せています。[朝日]は天声人語にも書きました。そこに新藤監督の『原爆の子』の感動を60年前の天声人語は書いたと紹介しています。それに恥じぬ天声人語であってほしいと、切に願う今日この頃です。
 [日経]は佐藤忠男さんが書いています。これは世間的には上手なのだろうと思うけれども、私には「俗な映画評論家」というのを改めて思いました。昨年の「映画批評」誌10号に書いたとおりだな、と思うのです。
 5月31日の記事だが、本文を読めない人に紹介するために気になったところを抜き出してみましよう。
 「当時、思想的な理由で撮影所から追われて独立プロを起こした映画人は少なくなかったが、新藤さんはそうではなく」といい、「あくまで作りたい映画だけを作るという信念」という動機までも付け加えています。
 これは何を言いたいのでしょう。東宝争議をきっかけに独立した今井正山本薩夫と違うということをいいたいのでしょうか。私は精神的には彼らは同志であったと思うのですが。
 あるいは「日本の文化的伝統は階級によってそれぞれ独特のものがある。そのうち、、武士の伝統は黒澤明が表現しているし、町人の伝統は溝口健二が受け継いでいる。小津安二郎はかつての文人から近代の市民層の文化を」そして新藤は農民の文化的伝統だといいます。
 これほどいい加減な文章もない、と私は思います。日本に「近代市民層」があり、しかもその文化とは、何を指しているのでしょうか、私にはわかりません。
 そんな欺瞞的な紹介をしなくても、「すさまじくも美しき100年」という豊川悦司に拍手。
 [神戸]は6月2日に樋口尚文さんが追悼文を書いていますが、これが一番ぴったり来ました。「並外れた寛容さと度量」という見出しですが、それは映画からくる印象で、そのとおりと思いました。でも講演録をきっちりとチェックする繊細さ(昔、映画サークルの機関誌が、それを忘れて怒られました)がないと良い脚本をかけないのでしょう。