追悼:高倉健

11月18日の夕刊と19日の朝刊に、俳優、高倉健の追悼記事が満載であった。そこで新聞ごとに高倉健の評価の違いがあるのかないのか、と興味を持った。それで、なるべく多くの記事を読んでみた。
例によって[神戸][朝日][毎日][讀賣]である。そして23日のNHKスペシャル「『あなたへ』の時のインタビュー」を見た。[日経]は詳しい論評記事はなかったが、20日佐藤忠男が追悼文を書いていた。(佐藤忠男は同日の神戸新聞にも別の記事を書いている)
何を、どう評価するのか
各紙ともに、顔とも言える一面下のコラムで取り上げた。「背負った運命を静かに引き受け、見る者の心にポッと火をともすような男たち」(余録)「射抜くような鋭さに、優しさと哀しさが混じる」(正平調)「不器用で温かく、勁く、飾らぬ人間像」(編集手帳)「不器用に生きる男からにじみ出る『情と味』を手のひらで包むように温かく」(天声人語)と、高倉健が演じた男たちを評した。
これらは、いずれも彼の映画人生の後半生である。この部分だけを取り上げるのは物足りない。いわゆる真っ当な人間を演じている部分だけだから、高倉健という俳優を矮小化してしまう。
彼が持つ危険性、反社会的、反権力、犯罪的という部分を評価してこそ、彼の魅力が分かる、と思う。
高倉健はそのような「負」の部分を押さえ込む精神力を持っている、「本能と理性」とでもいうものか、それが最大の魅力ではないか、と私は考えた。

他の紙面では仁侠映画でスターダムにのし上がった時代も評価している。それに言及しないのはなぜか。各紙コラムニストの怠慢を感じる。


余録も天声人語も、母のことに触れた。
(続く)