[日経]春秋

日本経済新聞朝刊の1面下のコラムである春秋を、3月初めから4月末まで読んでみました。
きっかけは3月4日の春秋が石原慎太郎都知事を批判したのを読んだことです。[日経]でもこんなことを書くのか、と思い、他にそんな記事はあるのか、と探し続けました。

3月4日春秋
書き出しは「山岳小説で名を成した新田次郎さんが第34回直木賞に輝いた・・」で、そのときの芥川賞が元都知事であったことや「奔放な弁舌」や大げさな言動を紹介して、豊洲市場移転問題での記者会見の様子を批判しました。
「会見で2点明らかになった。この件で石原さんをただしても真相解明は難しそうだと言うこと。そして、13年半に及ぶ在任中の都政の無責任体制だ。」と断じました。
この批判は、その通りですが「やっと分かったのか、今まで分からなかったのか」と思いました。「石原慎太郎は無責任で卑怯者」というのは若いときからの体質だと思っていました。ベトナム戦争の対応もそうですが、知事時代に障害者や女性を蔑視する発言したのを[日経]はなんと見ていたのでしょう。知事選挙で300万票も取ったりしましたから「立派な人」だと思っていたのでしょうか。
でも「水に落ちた犬は叩け」の通り、今でも、その性情を国民的に明らかにすることはジャーナリズムの役割だと思います。
まだ水に落ちていないのか
政治的なネタはいくつかありましたが、名前を挙げて批判するのはほとんどありません。3月4月は「森友学園」の問題がありましたから、その関係をちょっと取り上げたぐらいで、「閣僚が古色蒼然たる教育勅語を評価する」と言って、その大元である安倍首相にはふれません。
3月の中旬までは、もっぱら「森友学園が悪い」と言う論調で、24日になってやっと「昭恵婦人の話も聞きたい」と書きました。
閣僚など政治家の名前は中々出しません。4月27日に首になった今村復興大臣は名前を出しましたが、学芸員を批判した人は地方創生大臣という表記です。
浅田真央さんの引退を書いた4月12日では彼女を「大事なときに必ず転ぶ」と中傷した森元首相を「どこぞのお偉いさん」と書きました。
しかし、それらはまだマシで、森友学園で嘘をいい「私の記憶に基づいた答弁であって、虚偽の答弁をしたという認識はない」と言い放った稲田大臣については触れていません。
3月16日の天声人語や余録は触れていて、春秋は3月21日に「記憶にございません」を証人喚問の名ゼリフと紹介しているのに、それを上回る迷ゼリフを忘れるとは、これも3月25日で春秋が書いた「重層的な忖度メカニズム」です。
ジャーナリズムではないですね。
5月から[讀賣]の編集手帳を読むことにします。