『マンザナ、わが町』

神戸演劇鑑賞会の11月例会でした。
この芝居の運営サークルを担当して会報に原稿を書きました。

井上ひさしの戯曲で、とてもよくできています。アジア太平洋戦争時に、米国の日系人が強制収用所に入れられた史実を基に作られています。
その背景等を調べたメモを、ここに書きます。ちょっと長いですが読んでみてください。
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『マンザナ、わが町』を読んで、調べて
強制退去強制収容
 シエラ・ネバダ山脈の麓、砂塵が舞う広大な荒れ地に立つバラック小屋の群れ、マンザナ戦時転住センター面積329haに、最初の日系アメリカ人が送り込まれたのは1942年3月21日です。
ここで『マンザナ、わが町』という朗読劇の練習が、5人の女性たちによって始まりました。
マンザナ(スペイン語で「リンゴ園」)は、アジア太平洋戦争時に作られた日系アメリカ人強制収容所です。
 1941年12月8日ハワイ真珠湾奇襲攻撃、大日本帝国アメリカ合衆国が本格的な戦争に突入してすぐに、アメリカ政府もメディア、市民感情など社会全体も、公然と日系アメリカ人は「敵性外国人」と決めつけた行動に出ました。
ルーズベルト大統領は、1942年2月19日大統領令9066号を出し、西海岸のワシントン州カリフォルニア州オレゴン州等の1部に住む日系アメリカ人約12万人(アメリカの国籍を持たない移民1世、国籍を持つ2世3世約7万人を含む)を強制退去させます。彼らは、競馬場の馬小屋など急拵えの16カ所の集合センターへ集められ、そこから人里離れた僻地、砂漠や山間地に作られた10の転住センターへ送られました。
転住センターの、コールタールを塗った紙を貼った、砂塵が舞い込む狭いバラック小屋(間口7.6m、奥行き6m)にはプライバシーもなく簡素な軍用ベッドがあるだけです。屋外の共同便所には満足な間仕切りもありません。
 ここには住居だけではなく工場、病院、食堂、学校、教会、売店、劇場ホール、グランド、美容店、郵便局などの街並みも整えられていました。荒れ地を開墾した農地での食糧生産、収容者による自治的な共同社会が求められていました。
しかし有刺鉄線のフェンスで囲まれ、憲兵と機関銃を据えた監視塔で見張られている収容所です。
彼らは1週間程度の準備期間で、手に持てるものだけを持って連れてこられました。農民は農地を、漁師は漁船を、家財道具一式を放棄するか捨て値で売却しました。財産も仕事も地位も名誉もすべて奪い取られました。
 彼らは何一つ罪を犯しておらず、しかも裁判にも掛けられず強制退去強制収容されました。それはアメリ憲法修正第5条「何人も正当な法の裁きによらなければ、その生命、自由、または財産を奪われない」に反する行為でした。
また日系人社会の中心人物や、漁船などで無線を持っている者などは「危険人物」と見なされ、FBIがやってきて刑務所に押し込められました。
 国民の自由と権利を守る憲法は「軍事的必要性」が強調されて紙くずと化しました。
なぜ日系人だけが
アメリカは日本だけでなくドイツ、イタリア等枢軸国に宣戦布告しましたが、強制収容の対象にしたのは実質的に日系人だけでした。そこには建国以来のアメリカに潜む人種差別がありました。
戦後「戦時市民転住収容に関する委員会」(1982年)は「大統領行政命令9066号は軍事的必要性によって正当化できるものではない。あらためて歴史的にその原因をさぐれば、それは人種差別であり、戦時ヒステリーであり、政治指導者の失政であった」と率直にそれを指摘しています。
黒人奴隷や先住民族に対する差別だけではなく、中国を始めとするアジア移民に対しても強い差別がありました。
日本からの移民は、江戸幕府の海外渡航解禁1866年の出稼ぎに始まり、集団的には明治維新の1868年ハワイへ契約移民が最初です。
日本人に対して1900年に著名な社会学者が以下のようなことを言っています。
①日本人は同化することが出来ない。
②日本人は低賃金でも働くから、アメリカ人労働者の就業水準を引き下げることになる。
③日本人の生活水準はアメリカ人労働者よりもはるかに低い。
④日本人はアメリカの民主主義制度について、その政治的意味を正しく理解していない。
法的にも、1913年「外国人土地法」で土地の所有を禁止し、1924年「新移民法」(東洋人排斥法)で移民の禁止と国籍の取得を不可としています。
真珠湾奇襲攻撃のショックと、その後のアジア、太平洋地域での日本軍の快進撃を目の当たりにして、多くのアメリカ人は脅威を抱きました。西海岸が攻撃されたという風評も流され、良識的だった人たちも含めて日系人排除が大きくなったのです。
その一方で、冷静な調査も行っています。大統領直属の調査機関は、開戦直前に日系人の意識調査報告を行い、9割がアメリカ人の意識を持ち敵対的要素はない、と言っています。
ハワイには15万人、島民の40%の日系人がいたが一般人の強制収容はありません。収容できる場所もないし、彼らを収容すればハワイ全体が機能不全に陥るという現実的な判断です。
ですから軍事的必要性は表面的な理由です。
親米親日
1世=移民した世代。アメリカ国籍が取れない。日本に帰属意識を持っている人もいる。
2世3世=1世の子孫でアメリカ生まれ、アメリカ国籍を持っている。考え方や生活習慣もアメリカになじんでいる。
帰米=2世3世で教育等のために1時日本で生活をし、再度アメリカに帰ってきた人々。日本にいた時期等によって親米、親日に分かれる。大正デモクラシーの時代、言論の自由を弾圧し始めた時代。
この芝居では、ソフィアとジョイスは帰米2世、オトメは1世、リリアンは2世です。微妙な対立があります。途中でオトメとジョイス、ソフィアとリリアンに分かれます。
1942年12月5、6日、マンザナで暴動が起きました。帰米組の親日派親米派の対立が高じて親日派憲兵に逮捕され、それに抗議する集団が警察署に押し寄せました。発砲事件にまで発展し犠牲者が出ています。
真珠湾攻撃から1周年で、アメリカ政府の強制収容に反発して、親日派は抗議行動とともに「祖国アメリカへ忠誠を示そう」とする親米派に人身攻撃を加えていました。

忠誠心
日系人で編成された部隊はヨーロッパ戦線に派兵されました。ハワイ出身者の第100歩兵大隊、収容所からの志願兵の第442連隊があり、彼らは勇猛果敢で、多くの軍功を挙げた。国家に忠誠を見せつけ「ファシズムと人種差別という二つの敵と戦った」と評価されます。
対日戦争では戦地での戦いよりも、情報、諜報機関に属し、敵国敵兵、日本人の特性を知り、暗号解析や捕虜の尋問で活躍しました。
固く口を閉ざす兵士に「赤十字を通じてあなたの両親に無事を知らせる」というと、兵士は「それだけはやめてくれ」としゃべりだしたと言います。
またある将軍は「かつてこれほど敵を知った戦争は知らない」「百万人の命を救い2年短縮した」と絶賛しました。
井上ひさしの理想
井上ひさしがこの戯曲を上演したのは1993年です。1988年レーガン大統領が、日系アメリカ人の強制収容に謝罪し、2万ドルの補償する法律に署名したことに触発されて書いたと言います。日本政府の、朝鮮や中国などアジア諸国、市民に対する戦争責任の取り方と比べて潔い、と思ったそうです。
5人の日系人女性が強制収容所を美化する朗読劇を上演する、という仕掛けを拵えて、1世、2世、帰米2世アメリカの人種差別を批判すると同時に、アメリカの希望も指摘しています。
この芝居の中で、強制収容そのものは「ナチス・ドイツと同じやり方」、「ルーズベルトヒトラーはそっくり」と強烈に批判します。
中国人をだしたことは、大日本帝国の侵略と戦後の戦争責任まで見通してのことだろう。
現在でもアメリカが抱える人種差別を、厳しく指摘しながら、アメリカの良いところも言いたい、という戯曲に仕上げました。
サチコの変化、日本人をあまり知らず、父親を殺されたという感情を持っていたものがどう変わっていったのか、そこは明確には示されない。
ラストで、朗読劇のせりふを「日本人の血を引き継ぐもの」を「人間の血を引き継ぐもの」に変えたぐらい。
移民によってつくられた国アメリカの文化、特徴をそれぞれの出生国の文化や風俗を溶かし込んだ「おじや」として表現します。登場人物たちは、移民によってつくられた国、自由と民主主義の国、努力と運で未来を切り開くアメリカンドリームの国と目されていたアメリカを信頼して、現状に対する、率直な怒りをぶつけます。
文献にあった言葉
アメリカを前方に突き動かし、アメリカの自由を拡大したものは、建国者の伝統的なアングロサクソンプロテスタント的価値観ではなく、次々に打ち寄せた移民の盲目的信仰である―私たちが有刺鉄線の向こうに閉じ込めてしまった人たち、ドイツ人、アイルランド人、ユダヤ人、中国人、日本人、ヒスパニック、南アジア人、アフリカ系アメリカ人たちの。ここは単に移民が集まってきた国ではない。私たちの国は移民が作り上げたのだ。移民とは、その労働力と技術と信仰を必要とされながらも、見かけが私たちと違っていたから、「彼ら」が「私たち」になるまで忌み嫌われていた、そういう人たちである。」
日本と米国の自治体の違い
自治と自立、シティやタウンの地方自治体は住民の意思で作られる。趣意書が憲法となる。
ソフィアの言葉等
 「この国では人間としての権利は闘って勝ち取る、勝ち取る価値のある権利なのだ」そして民主主義が、このひどい状況を改善させることができる。
 「この国の政治家は、国民の批判を気にする」
参考資料:パンフレット/「アメリカの汚名」リチャード・リーブス

芝居後の感想

 ふんだんに歌が入り、楽しい芝居という印象が残りました。「自由と民主主義の旗手」と目された米国ルーズベルト大統領は、ヒトラーと同様の体質を持っている、と断罪しているのですが、それがあまり残りません。
米国が欧州からの移民、建国以来、持っている人種主義という汚点、アメリカインディアン、黒人奴隷、アジア人に対する虐殺、差別についても指摘します。
文献を読むと強制収容に対する怒り、屈辱感がありますが、それが芝居では薄められています。
中国人「サチコ斉藤」は父を日本人に虐殺されていますが、日系人に対する怒りはあまり感じられません。一緒に朗読劇の練習をする中で親近感を持ち始めます。それはある面で自然な感情といえます。
サチコの「調査」は架空のものかもしれませんが、米国は日本と日本人を研究しています。文化人類学的には『菊と刀』が思い出されますが、空襲計画でも日本の各都市を研究して標的を定めた空襲でした。だから神戸は甚大な彼我を受けました。
それは終戦後の日本支配にも役立ったと言えます。
現代の視点でこの芝居を観たときに、人種差別はトランプ大統領の誕生で堂々と表に出ている時代です。沖縄、辺野古新基地建設問題は、日本の民主主義や立憲主義の危機ですが、同時に米国自身が不当不平等の日米地位協定核密約などを、他国に押し付けた平気な国だということです。