無差別爆撃の歴史

「神戸空襲と神戸港の写真展」で、私は無差別爆撃の歴史について調べて、簡単に書いてみました。会場に資料として置いています。その解説文をここで紹介します。

※ ※ ※ ※

1.飛行機の発明と戦争

ライト兄弟が有人の動力付き飛行機の実験に成功したのは1903年です。1914年に始まった第1次世界大戦では各国で偵察や戦闘に活用されます。飛行機は大型化と長距離飛行へと急速に機能は向上し、独立した空軍も編成されていきます。

f:id:denden_560316:20201103001125j:plain

ライト兄弟の飛行実験

その前史的にはイタリア・トルコ戦争で、イタリアは1911年トルコ領リビアに史上初の空爆を行いました。手榴弾を投げ落とす程度で、飛行機は植民地戦争で現地住民を威圧する兵器として活用されます。

戦争は「他をもってする政策の継続にすぎない」(クラウゼヴィッツ戦争論」)という本質から、軍隊の戦いから国家の総力を挙げた戦いとなります。戦場は軍隊が戦う場所に限ることなく一般国民が暮らす国全体へ広がりました。

国民の戦意高揚、後方支援を含めた広範な戦略が重要になりました。戦争における空軍の重要性が増し、各国は戦闘機や爆撃機の強化を図っていきます。海軍の主力艦隊が大艦巨砲主義の戦艦から航空母艦重視に切り替わりました。

1939年に始まった第2次世界大戦では飛行機が戦争の主力となりました。偵察機、戦闘機、爆撃機、輸送機等と機能が分化し、それぞれに強化、発展していきます。戦術爆撃や戦略爆撃空爆の作戦も研究されていきました。

2.精密爆撃、地域爆撃、無差別爆撃

その当時の国際慣習法1923年ハーグ「空戦規則案」は「一般住民に対する空爆を禁止」していましたが、結果的にはほとんど無視されています。

各国の軍規はその遵守を謳っていました。しかし空爆の標的は軍事施設から工場や港などの軍需施設へ拡大し、標的を狙う精密爆撃からその周辺を含めた地域爆撃と拡大されました。そして戦争が国全体の総力戦であることから、国民全体の戦意をそぐために、商業施設や住宅など社会生活全体を破壊する無差別爆撃へと広がっていきました。都市部への空爆をより効果的にするために、火災を引き起こす焼夷弾が開発されます。

第2次世界大戦前後から、戦闘員非戦闘員の区別なく多数の人間を虐殺する広範囲で継続的な無差別爆撃が行われています。歴史に残る主なものを列挙します。

①1937426日ドイツによるゲルニカ爆撃

 

f:id:denden_560316:20201103001344j:plain

ピカソゲルニカ

ナチスドイツは、スペイン内戦でフランコ将軍を支援するためにバスク地方の中心都市ゲルニカ(在住人口5千~1万人)を1日で破壊した。死者1654人、負傷者889

 ②1938年~43218回日本軍による重慶爆撃 

日本軍は31満州事変以後、32年上海を皮切りに南京など都市部に無差別爆撃を敢行した。中国の臨時首都の重慶38年から史上初となる同一都市への継続的な空爆を開始し、死傷者は25400人。とりわけ101号作戦(4011272回)102号作戦(413630)は、中国の抗戦意志を挫こうと激しいものになった。この時6号爆弾と呼ばれる焼夷弾を使用した。

f:id:denden_560316:20201103001417j:plain

日本軍の重慶爆撃

この爆撃を主導した井上成美(後の海軍大将)の責任は極東裁判では不問。

③1940年~45年ドイツと英国が都市部へ空爆の応酬

ドイツは西欧諸国を占領した後、英国へロンドン等都市部を標的に空爆を開始した。その報復に英国もドイツの港、工業地帯だけでなく、労働者の戦意を挫こうとベルリンやハンブルグなど主要都市への爆撃を繰り返した。1945年ドイツが降伏する直前に英国、米国は大規模なドレスデン爆撃を行った。空爆による英独の死傷者約55万人という。

3.日本への空爆

日本本土に対する爆撃は、1942年ドーリットル作戦(B25によって東京へ。神戸も爆撃された)が最初です。その後1944年中国の成都から飛び立った「超・空の要塞」B29による北九州、八幡製鉄所爆撃を皮切りに、太平洋のマリアナ諸島を奪った米軍は、そこを発進基地として全国の都市に爆撃を開始しました。

f:id:denden_560316:20201103001450j:plain

B29による無差別爆撃

最初は軍事施設や工場などを狙う精密爆撃でしたが、しだいに広範な地域爆撃になり、1945年に本土爆撃の司令官がカーチス・ルメイに代わり本格的な無差別爆撃が始まりました。

米軍は、綿密な事前調査に基づき、B29という絶対的な爆撃機と日本用に開発した焼夷弾68を用いて、最初は東京、横浜、名古屋、大阪、神戸といった大都市を繰り返し爆撃し、焼野原にしました。その後、北海道を含む全国の主要都市180空爆します。

そして8月には究極の無差別爆撃といえる原爆を広島、長崎に投下しました。本土空爆の犠牲者は記録されているだけで46万人です。

評論家の清沢冽は戦時中の日記に「日本人は無差別爆撃を恨んでいない。『戦争だから仕方がない』という」と書きました。政府の「一億玉砕」がいきわたり、当時の日本人には戦闘員と非戦闘員の区別がありませんでした。

敗戦後「一億総ざんげ」が言われ、カーチス・ルメイに対し、1964年日本政府は航空自衛隊の創設に貢献した、として勲一等旭日大綬章を贈っています。

4.現代も無差別爆撃は続く

2次大戦後、戦勝国によるニュルンベルグ裁判や極東裁判では、無差別爆撃は責任を問われませんでした。ゲルニカ重慶への爆撃も戦争犯罪として俎上にも上がりません。枢軸国が行った空爆も糾弾されず、連合国の無差別爆撃も言及されませんでした。

そのことにより、非戦闘員の保護を明確にした1977ジュネーブ条約後でも、無差別爆撃は続いています。

f:id:denden_560316:20201103002223j:plain

沖縄からベトナム戦争行くB52

東西冷戦構造の下で朝鮮戦争ベトナム戦争ソ連アフガニスタン侵略と戦争は続きました。幸い核兵器は使用されていませんが、ベトナム戦争では枯葉剤のような奇形児の出生など大きな後遺症が残る兵器も使われています。

冷戦が終わっても世界各地で戦争は続いています。中でも米国が絡んだ戦争で大規模な無差別爆撃が行われました。空爆の兵器もB29を上回るB52爆撃機、長距離ミサイルそして無人戦闘機へと発達してきました。ナパーム弾、劣化ウラン弾、ボール爆弾、クラスター爆弾など殺傷能力の高い爆弾が使われています。

f:id:denden_560316:20201103001628j:plain

爆撃されたアレッポ

厳しい国際世論の目があって、表立った無差別爆撃はしにくいものの「誤爆」を言い訳に行政施設や病院も狙われています。

最近ではシリア内戦でロシア空軍がシリアの最大都市アレッポを無差別爆撃しています。

参考文献空爆の歴史―終わらない大量虐殺/荒井信一』『本土空襲全記録/NHKスペシャル取材班』『戦略爆撃の思想/前田哲男