今年は、芝居の感想も書いていこうと決意しましたが、1月に見た『おとうふコーヒー』は書いて、それ以後なかなか書けませんでした。やはり映画とはちょっと違います。それでも何とか『熊楠の家』の感想を書きました。
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南方熊楠を知ったのは40年ぐらい前です。柳田国男を知り、彼とは全くタイプの違う民俗学者がいたということで、自伝的な本も買いました。
この芝居は「新劇らしい」と思いました。一人の魅力的な男の後半生を丸ごと描き、そこに懸命に生きる人間の普遍性と熊楠個人の特異性が描かれています。優れた研究者であるとともに息子の病に悩む父の姿がありました。
熊楠を演じた千葉茂則さんは、熊楠のイメージでした。
19才で米国に渡り、キューバを経て、25才で英国に住む。大英博物館で、独学で博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学などを幅広く研究し、26歳で科学雑誌「ネイチャー」に論文掲載され、西欧の学術界にも認められた研究者です。
幼少から天才ぶりを発揮します。「和漢三才図会」などの書物を筆写して覚えたという驚異的な記憶力を持ち、5か国を解したと言われます。
世界的な研究者、でも変人
34才で帰国し、故郷である和歌山に住み妻も娶りました。芝居はここから始まります。
自然の宝庫である紀伊山地に入り、植物と動物の特性を併せ持つ奇妙な生き物、粘菌研究に没頭します。彼は世界的な研究者でしたが、安定した収入もない、気ままな生活です。
彼の魅力、能力に惹かれる昔からの旧友など支援者がいますし、若い協力者も得ていました。
明治政府が神社合祀政策(1906年)を出します。村に複数ある神社が統廃合されて鎮守の森が売却される事態になり、熊楠は、神社はともかく鎮守の森は自然の宝庫で、これを守り、子々孫々まで残さないといけない、ということで反対運動に加わります。
加熱する性格で、役人を殴って拘置所に入れられるという事件もありました。
天皇に対して
熊楠の人生のハイライトは、天皇に収集した粘菌を進呈し、講義(1929年)したことでした。
熊楠は昭和天皇が粘菌に関心を持っていることで、仲間のような気になり、この芝居では「てんのうはん」と呼びます。コスモポリタンとしては皇族も同じ人間なのでしょう。
戦前ですから天皇の名を呼ぶときは「気を付け」をして最大限の敬語を使うのが当たり前の時代で、周囲の人間は戸惑ったことだと思いますが、この芝居では、だれも咎めようとしないのが逆に不自然に感じられます。
しかも「大逆事件」(1910年)も出てきます。国家権力が捏造し、多くが死刑判決を受け、実際に幸徳秋水などが処刑された天皇暗殺計画の「大逆事件」に和歌山県人が多く連座していました。その一人の減刑嘆願に熊楠は力を貸していたようです。
芝居では熊楠の天皇観、戦争に深く触れていないのが残念です。
父、家庭人として
1925年に息子、熊弥は統合失調症を発病しています。熊楠は彼を愛し期待していました。しかし病気は重くなるばかりで、家で看病することはかなわず病院に入れています。
そして彼の仕事を娘に手伝わせています。人を雇うことができないという面もありますが、家族の協力で研究を進め、同時に後継ぎにもなってほしいという思いも見えます。
天才熊楠も、この面では普通の父親であったと思いました。
この芝居には土宜法龍が出てきません。彼は真言宗の僧侶(後に高野山管長)で、ロンドン時代の熊楠と知り合い、帰国後も長く書簡を交わしていたそうです。熊楠の思想形成に大きな影響を与えた人です。
なぜ彼との交流を排除したのか、これはこの芝居の謎でした。