前進座『夢千代日記』

神戸演劇鑑賞会9月例会は前進座の『夢千代日記』です。

運営サークルに参加して会報を担当しています。台本を読んで書いた第1稿を載せておきます。実際に会報に載るのはこの半分ぐらいです。色々な人から意見を貰って3度ほど書き直しました。
ここに載せるのは、かなり荒い文章ですが率直な意見です。
夢千代日記
忘れてはならないこと
過去に苦しむ人々
 忘れてしまいたいけれども、忘れられないことがあります。その一方で忘れてはならないことであるにもかかわらず忘れてしまうこと、目の前にあるにもかかわらず見えなくなってしまうこともあります。
 『夢千代日記』に出てくる人々は、さまざまな人生を背負っていますが、多くは過去の出来事を忘れられず、それに引きずられ現在も苦しんでいます。
 夢千代さんは胎内被曝者であり、原爆病を抱えながら生きています。日々繰り返される病の苦しみの中を生きています。その向こうにある死の恐怖、愛する人の子どもを儲けたいという願いの放棄、彼女は生きていく中で一瞬も原爆や戦争を忘れることができません。
 はる家のスミさんは、敗戦直後、中国大陸から逃げ帰るときに子供を捨ててきたことを、心の奥底に打ち込まれた楔として持ち続けています。
 また記憶喪失の男「マコト」の存在は、この芝居の大きな比重を占めています。彼は何らかの大きな事故で記憶を失い「自分は誰かわからない、それを知りたい、いや過去を思い出したくない」と葛藤し苦しんでいます。
人間の深層心理は、過去の記憶を自責の念として持ち続けたり、あるいは苦痛を和らげるために消したりします。過去に向き合うことは、自分自身の生き方と強く結びついています。もちろん苦しいことだけではなく喜びも人生を形作るものです。
そして一人ひとりの人生は、その人のものですが、必ず社会全体の動きと密接に結びつき、大きな影響を受けています。夢千代さんとスミさんの苦しみは、個人が味わっているものですが、その上には戦争が大きくのしかかっています。
過去を歪める人々
芝居では戦争を深く追求しませんが、背景として、それを強く意識しています。国家による戦争の傷跡に、現在も多くの人々が苦しんでいることは決して忘れてはなりません。
その一方で過去を歪める人々もいます。戦争の現実を経験していない国家の最高責任者は平和憲法「改正」を政治的使命としています。思想や言論を弾圧した天皇制国家、「三光作戦」のような凶悪な侵略と植民地支配、多くの人々の生命と人生を奪った戦争、そして戦争責任者を断罪した「東京裁判」等を直視せずに「歴史認識」という言葉を弄んでいます。
政府は今もなお内部被爆を認めず、原爆症で苦しむ人々を正面から見ません。あるいは元従軍慰安婦の方を目の前にしても、政府と軍部の責任を認めない政治家が国民の支持を得ています。そんなことを背景に「福島原発事故で死んだ人はいない」という言葉が飛び出します。福島の現状を横目で見て、原発の再開を推し進め「世界一安全な原発の輸出」に飛び回っています。
ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領は「過去に目を閉ざすものは、未来に対してもやはり盲目になる」と言いましたが、その通りのことが現在の日本で進められています。
未来へ歩むために
 この芝居は、夢千代さんを始めとするゆめ家の人々のささやかで平凡な日々と、その中に迷い込んできた「マコト」や暴力団・山陽組の連中が引き起こす事件の顛末を描きます。
 そして一見すると平凡な生活にも、過去にあった原爆や戦争の後遺症が大きな影を落としていることを明らかにします。
 私たちの人生や身近な出来事も、社会の動きや政治とつながっています。暴力団の沼田も、戦災孤児ではなく被爆者でなかったら、別の人生があったのかもしれません。
 「マコト」が、過去の事故を直視して記憶を取り戻します。過去から逃げる「旅」を終えて、苦しいけれども彼は自分の人生に道を戻します。家族や周囲の人間に支えられて、未来へ向かうことを暗示します。
 現実を直視すると、苦しくて生き辛い状況があるかも知れません。それでも身の回りだけではなく、もう少し目線を上げて遠くまでの現実を見て、そして力を合わせ寄り添いあえば、私たちはより良き人生を生き続けることができる、という励ましが聞こえる芝居です。(Q)