2020年1月の市民映画劇場は『ロング,ロングバケーション』です。ヘレン・ミレンとドナルド・サザーランドが老年期に入った夫婦を演じます。もう先が長くないと悟った二人はキャンピングカーでフロリダのヘミングウェイの家に向かう、という話です。
詳しくは映画サークルのHP
をご覧ください。
それで1月16日に以下のような学習会を持ちました。
「ヘミングウェイと映画―小説の言葉と映像表現の接点―」
講師は西谷拓哉(神戸大学国際文化学研究科)さんです。
本当に面白いお話でした。しかもきちんとレジュメまで作っていただき、西谷さんが指摘されている点もよくわかりました。
もっとヘミングウェイについての話になるのかと(それはそれで面白そうだが)思っていたら、そうではなくて、彼の原作の持つ映像性と、それが実際にどのように映像化されたか、という話でした。
一瞬の情景を切り取った、切り詰めた表現をする小説家で、文体、文章自体が具体的で映像的です。映画化しやすい作品が多くあります。(『誰が為に鐘は鳴る』や『老人と海』などを昔見ました)
彼自身が読みやすさと「氷山の理論」ということで見せるのは1部分だがその下に隠れた大部分を創造させるような深淵さを併せ持つ文体をよしとするといっています。
そして「間」の使い方が上手な作家ということで、映画、芝居、落語漫才などの演芸での「間」と「半間」、「閾際の効用」とはどういうものかを解説していただきました。
また小説などを映画化するとしたらどう表現するか、配役、役柄化などを考えて読むとよくわかるという話です。
その例えとしてドアの開閉をどちらからとるか、その視点の持って行き方で、映像の意味が変わるし、登場人物の位置づけも変わるというのも納得でした。
そしてDVDで映画化された『殺し屋』を見せてもらいました。あの短い話、しかも前後のいきさつなどほとんど書かれていないのに、想像力で、長編映画にしていました。
ロバート・シオドマクは小説に沿っているようですが、ドン・シーゲルの方は盲学校に舞台を変えて、しかも殺しを依頼された殺し屋自身が「殺した男がなぜ殺されるのか」を調査するという話です。
でも面白そうな映画です。
このお話を聞いて、ヘミングウェイの短編集を図書館から借りてきて読み始めました。
レジュメは以下の通りです。
※ ※ ※
- ヘミングウェイの「間」について
(1)文学性と大衆性
(2)『老人と海』の猫
2.『武器よさらば』の映像的な文章
3.「殺し屋」を映像的に読む
(1)「死」を受け止める/受け止めきれないニック
(2)映像的に読むとは
(3)作品自体の映像性
(4)映像化を念頭に置いて読む―ドアの開閉
4.長編映画化(ハリウッド流の換骨奪胎)
・ドン・シーゲル『殺人者たち』 (1964)
・ロバート・シオドマク『殺人者』(1946)
(タルコフスキー(Andrei Tarkovsky)の『THE KILLERS』1956がYouTubeで見ることができます)