『左の腕』の感想

『左の腕』無名塾公演 神戸演劇鑑賞会12月例会1215

 仲代達也「役者生活70年周年記念作品」です。原作は松本清張の連作短編集『無宿人別帳』の一つ「左の腕」です。

 この原作には10本の短編があり、それぞれ多くの映画やテレビドラマが造られていますが、私は映画『無宿人別帳』(内田吐夢監督、三國連太郎中村翫右衛門等)やテレビドラマ『町の島帰り』を見ています。芝居とは随分とイメージが違いました。

 これらは無宿人のあまりにも辛い人生を描いていました。

 それに比して芝居は明るい終わり方です。これは、おそらく仲代さんの意図があったと思います。

 それで芝居の台本と原作を読んで、これを書くことにしました。

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 仲代達矢は謎めいた雰囲気を持つ主人公卯助を見事に演じていました。貫禄の芸だと思います。存在感もありますし、殺陣の動きも90近いという年齢を感じさせません。

ちょっと痛快だが

 料亭松葉屋の板前、銀次は同じ長屋に住む卯助と娘のおあきのことを気にかけていました。卯助が飴細工の荷を担いで、子ども相手に売り歩いて生活を支えています。しかしけっこうな年格好であり不愛想で、とても商売上手ではありません。苦しい生活ですが、おあきは気立てのいい働き者の娘に育っています。

 銀次は自分の店の女将に紹介して、二人はそこで働き始めました。彼らの評判は上々です。

 松葉屋に目明し(岡っ引き、下っ引きともいう)の麻吉が出入りします。彼は2階で旦那衆が違法な博奕をしているのに感づき、目こぼしして金をせしめていました。

 さらに麻吉はおあきに横恋慕して「お上の威光」をかさに「妾になれ」と迫っています。

 彼女に惚れている銀次に嫌がらせをします。父の卯助に対しても、彼の左腕にまかれた白い布を目ざとく見つけ、脅しをかけていました。

 卯助は、飴屋のじいさんでありながら、寡黙な佇まいに、見るものが見れば「普通のじいさんではない」という感じです。目明しの麻吉に脅かされているときも、下手に出ているけれども、おどおどした感じがありません。

 ある日、松葉屋に押し込み強盗が入り、店中の者が縛られます。その中に麻吉もいました。知らせを聞いた卯助は樫の棒を持って駆け付けます。

 彼は、長脇差を振りかざす盗人2、3人を棒でたたき伏せます。それを見た首領が「蜈蚣(むかで)の兄貴」と呼びかけました。

 卯助の素性、彼の女房になった女、おあきの母親が明らかにされます。

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 強盗一味は店の者を解き放ち、何も取らずに去っていきました。卯助は店の窮地にあって、麻吉も含めて全員の命を救いました。

 彼の正体がばれますが、凄むでも開き直るでもなく、恬淡としています。元の「飴屋に戻ればいい」という台詞も素直に聞けます。松葉屋をやめる覚悟です。

 しかし松葉屋の女将は、おあきを引き続き手元に置くと断言します。おあきは銀次と所帯を持つかもしれない、という余韻を持って終わりました。

 松本清張の小説とは、性格を変えた芝居であると確信しました。

原作と比べて

 原作『無宿人別帳』は矛盾した言葉です。江戸時代の戸籍簿、百姓や町人などの宗門改めでつくられた人別帳から外されるので無宿人と言われ、その人別帳などありません。生活苦から故郷を出奔、あるいは勘当、軽犯罪などで、世間から外され無宿となった彼らの生きざまを描くことを、松本清張は人別帳と見立てたのでしょう。

 無宿人になると保証人もいないので、なかなか正業には就けなかったようです。軽犯罪を犯し腕に入れ墨を入れられ、その家族までも差別の目で見られます。

 原作の『左の腕』は、腕の入れ墨をめぐる卯助と麻吉が中心のあっさりとした物語です。麻吉は、お上の御用を務める目明しですが、その権力を悪用して商人や町方を脅して小銭稼ぎをしています。

 元盗賊であった卯助と人間性の対比が強調されていると思いました。

芝居は、全体的な人間関係等は原作通りですが、おあきをクローズアップし、彼女の母が卯助を更生させた挿話があります。そして麻吉の厭らしさに対抗するように、女将と銀次が配置されています。

 原作が無宿人、社会の底辺に落ち込んだ人間の厳しい状況を描いたのに比べ、芝居は厳しい中でも、庶民の中には助け合いの気持ちがあることを付け加えました。

 それは現代社会への期待でもあると、私は受け止めました。

最後のセリフ

 原作は卯助に「なまじおれが弱みをかくしていたからだ。人間、古疵でも大威張りで見せて歩くことだね。そうしなけりゃ、己が己に負けるのだ。明日から、また、子供相手の一文飴売りだ。―子供はいい。子供は飴の細工だけを一心に見ているからな」と言わせます。世間の風の冷たさと、その向かい風に対峙する覚悟、あきらめを感じさせる台詞です。

 芝居では、この前半の言葉はなく「明日から・・・」だけです。開き直りの度合いを薄めて、卯助はともかく、世間様の助けを得て、おあきは父親とは違う人生を送れそうな、余韻を残しています。

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ちょっと疑問

 「10両盗めば首が跳ぶ」と言われた時代です。蜈蚣の卯助は殺生をしなかったとしても二つ名の持つ盗賊です。捕まれば重罪ですが、江戸で「仕事」をしたわけではないようです。

 現在なら、地方で強盗をしていたら江戸でも重罪人とし逮捕されるでしょうが、この原作と芝居をみると、そうはならないようです

 幕府の直轄地では「指名手配」的なことはできるでしょうが、地方の各藩にまでそのような協力関係が出来たのか、どうなのか疑問です。出来ていないみたいです。

 この物語では卯助は地方で悪事を働き、知り合いのいない江戸に出てきた、という逆のパターンです。

 各藩それぞれ、目付や町奉行的な警察機能を持ったものはあったでしょうが、それが連携するのは明治の中央集権国家になってからのようです。

 

 

西神ニュータウン9条の会HP2022年2月号の紹介

標記のHPが更新されていますので紹介します。下記をクリックしてください。

西神9条の会 (www.ne.jp)

今月は9本のエッセイがの掲載されています。

読んでいて、気になった事だけ書いておきます。全く個人的な感想です。

1「再び『敵基地攻撃能力」のこと」

 米国は日本が紛争状態に入ることを期待している、という指摘です。無邪気に日米軍事同盟とか言っていますが、金儲け第一の国だと思いますから、その通りカモ。

2「マリさんの『パリ通信』」

 ひったくりの被害届を出しに行って、手間ばかり。警察には期待していない、というのもフランスの一面かな。

3「多様性って何だろう」

 言われていることにはまったく賛同するのですが、例えば米国の根強い人種主義との関係、日本人の「単一民族」神話を信じる政治家が与党に多い、をどのように解釈すればいいのかな。世の中には不合理なことが多い典型かな。

 「所有者不明土地の解消のための法整備―その1 」

 私も、田舎に父名義の土地と祖父名義の家を持っているので気になりました。

 今月の「憲法と映画」は『汚れたミルク』です。これはパキスタンに起きた実話をもとにした映画です。スイスの多国籍大企業ネスレの本質を突きます。言論の自由度の高い先進資本主義国ジャーナリズムも批判しています。

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 映画サークルの2月例会です。詳細は以下のHPをご覧ください。

2022年2月例会『汚れたミルク』 | 神戸映画サークル協議会(神戸映サ) - KOBE CinemaCircle Association (kobe-eisa.com)

 

『その手に触れるまで』感想

市民映画劇場2021年10月例会

 標記の映画がずうっと心の中に残っていました。私はとても好きな映画なのですが、評価があまり良くありません。それで、私がどう思ったかを書こうと思ってのですが、なかなか筆が進みませんでした。

 ようやく納得がいくものに仕上がったので、ここにあげることにします。映画を見た方の感想が聞きたいです。

※  ※  ※  ※  ※  ※

         人は人に助けられる

 人間の心は不思議です。結果的な行動は一つであっても、心の中はいろいろな「思い」「考え方」が錯綜している、と思います。自分では自覚、制御できない「無意識」もあります。

 映画は、ベルギーで生まれ育ったアラブ人少年アメットが排他的狂信的「イスラム教徒」となり、彼にアラブ語を教えている女性教師イネスを殺そうとする姿を描きました。

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 しかし彼がそこまでになる経緯や性格、環境などの特異性は描いていません。むしろ数か月前まではゲームに夢中の普通の少年であったこと、同じように狂信的な「導師」に通う兄は、アメットと違い、サッカーに夢中の普通の少年であると描きました。

 普通の少年が、何かのはずみで突然に「洗脳」される、と言うところから『その手に触れるまで』は始まりました。原題は「若いアメット」です。

標的は身近な人に

 アメットは、イスラム教に敵対し攻撃する人間ではなく、身近な女性教師イネスを攻撃の標的とします。彼女はムスリムでありアラブ語を教えますが、ベルギー社会に溶け込む志向です。

 彼は、彼女を背教者と決めつける「導師」を信じ込み、殺さなければならない、と思い込みます。その一方で殉教した従兄に強いあこがれを持っています。

 アメットは小さなナイフを持ってイネスの家に押し入りましたが、失敗します。そして少年院に収容されました。

 「導師」は無責任で口先だけの男と明らかになります。それでもアメットは少年院で、プラスチックの歯ブラシの先を尖らして、密かに殺害の機会を狙っています。ここまで狂いました。

 少年院は、そんなアメットを普通の非行少年のように扱いました。イスラムの信仰を尊重しますが、院内のルールを最優先するという姿勢を見せます。農場での人や牛とのふれあい、青空の下での農作業が日常生活に組まれています。

 彼は本心を隠し、表面的には落ち着きを取り戻したかのように見えました。

脆い心の揺らぎ

 農場の娘ルイーズはアメットに関心を持ちます。青空の下で軽くキスをしました。アメットは激しく動揺し嫌悪ではなく彼女に魅かれます。しかしルイーズにイスラム教への改宗を拒否されたことで、彼の心はいきり立ち、脱走してイネス先生殺害に向かいました。

 何も持たないアメットは、古い釘を抜き取り、それを武器に、やみくもに教室に入ろうとし雨樋を伝い上り、そして落ちました。

 体は動かず声も出せないほどの重傷で、死の恐怖に直面しました。

 その時、救いの手をさしのべてくれたイネス先生に謝罪しすがります。映画はそれで終わりました。

 この後アメットはどうなるのかを映画は明示しません。幼く脆い心が暴走して壊れたところまでです。イネス先生に「ごめんなさい」という声は小さく弱弱しいものでした。

人間の見方

 アメットは家族のもとに戻ってくる、というのが私の見方です。

 アメットがなぜ「狂信的」になったのか、なぜイネス先生を標的にするのか、窓枠から落ちた衝撃程度で、彼の「洗脳」が解けるのか、わからないことばかりです。

 映画は、そんなことはわからなくてもアメット自身と彼を取り巻く環境が明示できれば、人間がどう変わるかわかるだろう、と言っているように私には伝わってきました。

 アメットはイスラム教のことは何もわかっていなくて、殉教した従兄弟にあこがれ、いい加減な導師に引き付けられた、幼い精神です。だから行きつくところまで行ってしまったのです。

それは彼のアイデンティティとコンプレックスが絡み合ったものではないかと思いました。

 彼の行為はテロ、テロ組織とは全く無縁で、むろんイスラム教とも無縁です。むしろDVの感情か、と思いました。イネスはアメットが幼いころから面倒を見てきた女性であり、母親に近い存在です。彼は、母親に対してお酒を飲むことや服装をなじりました。

 プラスチックの歯ブラシや折れた釘を凶器と見て、拒否反応する人は、それをテロの萌芽と見るのでしょうか。それは肉体に多少の傷を負わせるだけです。

 私は、人は他の人に助けられる存在だと思っています。アメットはまだ幼いのです。彼に手を差し伸べる人がいて、手助けする環境があれば大丈夫です。

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 母がいてイネス先生がいて、ルィーズを好きになるアメットは、きっと立ち直ります。でもそれは私の甘い人間観かもしれません。

 

 

2021年12月に読んだ本その1

ダーウィンと進化論 その生涯と思想をたどる/クリスティン・ローソン、大森充香』『女警察署長 KPS香納諒一』『人を育てる名監督の教え―すべての組織は野球に通ず―/中島大輔』『落語に学ぶ大人の極意/稲田和弘』『五代目三遊亭圓楽特選飛切マクラ集/五代目圓楽』『世界12月号』6冊です。落語関係の本は継続して読んでいます。まぜ前半の3冊を書きます。

ダーウィンと進化論 その生涯と思想をたどる/クリスティン・ローソン、訳:大森充香』

 19世紀の偉大な発見は、K・マルクスの労働価値論、S・フロイトの無意識そしてC・ダーウィンの進化論だと思います。

 この本は子ども向けなので、とても分かりやすく書かれていました。

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 ダーウィン1809年、上流階級のお金持ちの医師の子供に生まれています。医学や宗教学を学びますが、あまりできの良くない生徒でした。その一方で、小さい時から好きだった博物学への興味がだんだんと大きくなっています。

 18311227日~1836102日間の、南米大陸調査を主な目的とするイギリス海軍の調査船ビーグル号に同乗しての世界1周の冒険が、彼の人生を大きく変えました。

 南米大陸ガラパゴス諸島等でたくさんの動植物、化石、地質などを実際に見て、標本の収集をしました。大量の資料を英国に送り、また船で持ち帰ります。

 この航海作業で、見聞きしたことが彼をまじめな学者に成長させたといいます。そして帰国後、その膨大な資料を整理、分析する中で「進化論」を考えました。

 「進化論」が驚くべき思想なのは、遺伝子などがまだ発見されていない時代に仮名が得たということです。さらに言えば、ヨーロッパ社会ではキリスト教の影響力が大きく聖書がいう「神が造った」という思想に反するものは異端と見られて、排除と弾圧の対象となっていました。

 彼は、昆虫や魚が大量の卵を産み、生き残るのはわずかであることをヒントに「自然淘汰」を考えます。そして多くの事例を整理、分析、研究して「自然選択による種の変形」という論文を書きました。

しかしこの考え方は聖書の考え方とは真っ向から対立するために、多くの批判を浴びます。ところがダーウィンは論争を好まず、そういう場に出ていったのは、ダーウィンと同じ考え方を持ち積極的に支援していた若い学者、ウォレスでした。

 進化論の中心は、生き残るのは強いものでも賢いものでもなく、環境の変化に対応できたもの、ということです。

『女警察署長 KPS香納諒一

 香納諒一はあまり読んだこともなく、この本はKSP(歌舞伎町特別分署)シリーズの一冊で、前に読んだシリーズであるような気がしますが、思い出しません。普通のミステリー作家という感じです。

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 KSPの署長に就任した村井貴里子が知事によばれて、彼の友人である米国の大富豪が盗まれた高価なバイオリンを密かに探してほしい、という依頼を受けます。それと間を置かず、彼女の部下の刑事に、かねてから指名手配されている中国マフィアの大幹部から、バイオリンの情報提供を強要する脅し(刑事の父を誘拐した)が入ります。

 警視庁管轄を超えて関東一円での捕り物です。それなりに読ませました。でも中国マフィア内部の抗争に絡む犯罪で、あまり社会的要素はありません。

『人を育てる名監督の教え―すべての組織は野球に通ず―/中島大輔』

 プロ野球、高校大学社会人野球の監督論です。梨田昌孝(近鉄、日ハム)渡辺久信(西武)岡田彰布(阪神オリックス)小川淳司(ヤクルト)小倉全由(日大三高)榎本保(近大)古葉竹識(広島、横浜、東京国際大)安藤強(ホンダ)を取り上げています。

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 野球は企業社会に似ているといい、チームや選手に対する監督の役割などを書いています。ですが、野球界全体のこと、プロ野球、ノンプロ、高校大学野球などに対して幅広く問題意識を著者は持っているのか、疑問に思いました。

 ある制約の下で彼らは仕事をしているわけで、そういうことを見ずに、個人個人のいい所を書くというのはつまらない、と思います。

 また長所の反面「なぜこのようなことを」というのも、裏表であると思います。そこも書かないと面白くありません。また球界にある問題点をどう考えているのかまで、引き出すのが野球ジャーナリストの役割でしょう。

 例えば、梨田監督は、いい監督だと思いますが、高校生から入団してきた中田翔をどのように教育したのか、と聞いていません。中田は昨年、チーム内で暴行を働き処分を受けています。高校時代から問題児であり、そのまま現在に至っています。

 この取材をした時も、球団内部でも問題行為があったと思いますが、それを知ってか知らずかわかりませんが、触れていません。

 古葉監督については、2003広島市長選挙、2004参議院選挙で自民党比例区に出たことを聞くとか、そのような愚挙を犯したのか。いい所とおかしなことを併記したほうが深みがあると思うのです。

 またアマチュア球界についても、そこが抱える問題、制約などについて彼らがどう考えているのか、そういう質問も必要と思います。

 いい人ばかりの評価ではどうかと思いました。

2021年12月に見た映画

『ドラゴンへの道』『モンスター・ハント』『パッション・フラメンコ』『ラストナイト・イン・ソーホー』の4本だけでした。

12月は芝居を2回見て、旅行もしたし、年末は忙しく(今年も年賀状300枚、山積みの資料の整理、破棄など)映画を見ることができず、わずか4本となりました。しかもこれはというのはないので、寂しいものです。

『ドラゴンへの道』

 特にブルース・リーのファンということもないので、期待せずに見ましたが、それでもちょっとひどい映画でした。

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 親戚がやっているイタリアの料理店にマフィアが嫌がらせに来るから、その用心棒として、ブルース・リーがローマにやってきて、悪い奴らをやっつけるという話です。

 人物設定など、ばかばかしいほどコミカルすぎて、コメディ映画としてもお粗末でした。

 悪人側の用心棒でカンフーの達人(白人)と、コロシアムで闘うのが見せ場ですが、広い所で小さな人間が二人で殴り合うのは、滑稽なだけでした。迫力も感じません。

『モンスター・ハント』

 中国の妖怪ものです。実際の人間とCGでつくった妖怪を織り込んでいくのはすごい技術だと感心しました。

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 妖怪と人間が隣り合って住む世界で、しかも対立しています。妖怪王国でクーデターがあって、妊娠した王妃が逃げ出し、その子どもを人間に託します。王子が生まれ、人間に育てられるところから始まりました。

 人間の妖怪ハンターがいて、捕まえた妖怪を料理して食べさせる店があります。大金持ちが集まってきます。

 妖怪王子を養い親が売り飛ばし、さらに妖怪ハンターに連れ去られて、その料理店に運び込まれます。それを救出すべく改心した養い親、王子を見守る妖怪、正義心に目覚めた妖怪ハンターなどが乗り込んで、妖怪料理屋の用心棒たちと大乱闘がメインです。

 面白い動きですが、設定やストーリーはめちゃくちゃで、よくわかりません。

『パッション・フラメンコ』

 市民映画劇場12月例会です。フラメンコの第一人者といわれるサラ・バラスが世界各地で「ボセス・フラメンコ組曲」を公演していくのを追いかけるドキュメンタリーです。彼女の踊りと生きざまが紹介されます。

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 もちろんフラメンコの踊りがメインです。でも映画を見て気づきましたが、フラメンコはカットバック等、部分と全体の映像を見せる映画手法で構成するよりも、舞台そのもの全体を見たほうが面白いです。表情のアップも腕の動きを捉える映像もそれだけでは面白くありません。舞踊ですから、それらは足や全身の動きと関係しています。

 しかもバックのギター奏者、歌い手も独特のもので、そこも併せてみたいです。

 フラメンコ歌手は、カンタオールというそうです。「ボセス・フラメンコ」ではルビオ・デ・プルーナ、ミゲル・ロセンド、イスラエル・フェルナンデスが歌います。

サラ・バラスがプロとしての初舞台が東京で、そのレストランが現在では廃業しているようです。

『ラストナイト・イン・ソーホー』

 基本的に、オカルトや心霊物は嫌いです。ですからこの映画も面白そうに作られていますが嫌いです。

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 田舎からロンドンに出てきて、デザイン学校で学び始めた学生エロイーズは、霊感があって、死者や過去の出来事を見ることができました。

 彼女はデザイン学校の寮に馴染めず、ソーホーの古いアパートで暮らし始めます。すると、その部屋で起きた過去の殺人事件を見るようになってきました。そしてだんだんと現実と幻想の区別化つかなくなっていき、ついには錯乱状態になります。

 彼女の夢とも幻想ともつかない世界は60年代で、彼女はクラブの歌手、ダンサー志望である田舎出の少女コリンズと一体になっていきます。

 コリンズはソーホーのクラブにやとわれて、ストリッパーにされて、ヒモのような男に脅され、殴られながら売春を強要されています。そしてついに殺されそうになりました・・・・。

 現実のエロイーズはコリンズと一体なって恐怖にとらわれていきます。そして現在の生活でも異常な行動に走るようになっていきます。

 異常心理によって、現実にないものが見えたりすることはあります。しかしそれは物理的ではありません。脳の活動の結果です。その訴えを警察官が事実として信じることも本来はあってはならないことです。

 しかし、この映画ではそういうことが起こりました。警察は「このアパートで殺人があったのか」と半信半疑ですが、アパートのオーナーを訪ねています。

 結果として、事件の真相は彼女が夢見たこととは違うが、殺人はあったというオチです。

2021年11月に読んだ本その2

ちょっと時間がかかりましたが11月の続きを書きました。これで次に行けます。

桂歌丸正調まくら語り~芸に厳しくお客にやさしく~/桂歌丸』『異形のものたち 絵画のなかの怪を読む/中野京子』『世界11月号』の3冊です。

桂歌丸正調まくら語り~芸に厳しくお客にやさしく~/桂歌丸

 やはり「まくら」は面白い、噺家の人柄がよく出ます。「にっかん飛切り落語会」(1976527日~2011829)から32編を入れています。

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   この本は前書き後書きを六代目三遊亭円楽が書いています。一緒に落語会もしていたようで、笑点では罵り合っていましたが、本当は尊敬しあう関係です。

 歌丸米丸の弟子で新作落語系でしたが、後に古典に転じます。円楽は、歌丸を極めてまじめに圓朝の話を掘り起こし円生等の正統派の古典落語を受け継いだ人「楷書の歌丸」という評価をしています。

    桂歌丸はいい人だと思いますが、売春については肯定的です。彼は女郎屋の息子として生まれたことを公言し、1956売春防止法を批判しています。

   また下戸であること、夫婦仲もいいし、身の回りから少し社会、政治をチクリといいます。笑点などもマクラのネタにしています。

    師匠、先輩から「歌舞伎、芝居を観ろ」と言われたそうで、演技というよりも、役者がどう言う間で、台詞やしぐさをやり取りするか、それが落語の勉強になる、と言っています。

    融通無碍に時事問題をとりあげるのではなく、パターンが決まっていたようです。円楽は「このまくらを振ればこの話」と分かるといいます。

『異形のものたち 絵画のなかの怪を読む/中野京子

 欧州を中心に、「人獣」「蛇」「悪魔と天使」「キメラ」「ただならぬ気配」「妖精・魔女」「魑魅魍魎」と分けた異形のものの絵を掲載して、簡単な解説を書いています。

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 あまり説明の必要はないと思います。何枚かの絵を載せますので、それを見て楽しんでください。

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魔女の宴サバト

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悪魔

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ユニコーンと娘

 人間の想像力は文化の結実です。浮世絵や水木しげる等が書いた日本の妖怪とは違う西洋の異形たちです。

『世界11月号』

 特集は「特集1反平等 新自由主義日本の病理」「特集2入管よ、変われ」でともに興味あるものでした。さらに国谷裕子の「内橋克人追悼」も良かったです。彼は「クローズアップ現代」に20年で46回も出演したそうで。

 特集1のリード文だけ書いておきます。

ネオリベラリズムの嵐が去りつつある。

 国際社会において、この数十年にわたって政治経済を席巻してきた新自由主義――格差を増大させ、市民の分断を促し、連帯を崩し、環境・気候を破壊してきた――は、乗り越えられつつある。その中心は、若い世代だ。確実に、新たな社会と経済のありかたを構想すべき季節が来ている。

 問題は、日本だ。「生活保護の人に食わせる金があるなら猫を救ってほしい」、「ホームレスの命はどうでもいい」。あるタレントの発言が物議をかもした。屈折しながら社会に内在化した自己責任論が、格差と差別を正当化する。

命は平等でなくてもいいのか。格差とは、平等とは、何なのか。公平ということと何が違うのか。

 政治的価値/目標としての平等を、あらためて共有するために、特集する。」

 その他の連載の紹介です。

【読書の要諦──ノンフィクション 反骨の人/青木 理(ジャーナリスト)】

 信濃毎日新聞の記者だった桐生悠々に関する本を紹介されています。戦前戦中に対峙した人です。青木さんの原点を決定付けた人のようで、現代に引き付けて考えることが大切です。

 桐生の子が「自己欺瞞が許容できなかった人間臭の芬々した一言論人」と評しているそうです。

『抵抗の新聞人 桐生悠々/井手孫六』『畜生道の地球/桐生悠々』『新聞記者・桐生悠々 忖度ニッポンを「嗤う」/黒崎正己』『反骨のジャーナリスト/鎌田慧

 図書館で探してみます。

【メディア批評167/神保太郎】

①メディアウォールの無効に沈黙の声を聴く

・NHKが「公共放送」から「公共メディア」にかわり、その「実現へ」と題した文章には「ジャーナリズム」という言葉は1回しか使っていないと指摘。

・「八月のジャーナリズム」でNHKは頑張ったとも。九州大学の生体実験を扱った「しかたがなかったと言うては行かんのです」、親子兄弟が殺し合った「”玉砕”の島を生きて―テニアン島日本人移民の記録」、沖縄を描く「死者は沈黙の彼方に―作家・目取真俊」です。

②「お祭り」総裁選のお囃子メディア

・総裁選報道、アベスガ政権の「不振の根っこ」を掘り起こさない

・八代弁護士の「共産党は暴力革命」は野党共闘と結びつけたと指摘。批判はあるが、八代の言い訳である政府見解「吟味すべき」と言っただけで、歴代の自公政権の野党政策と絡めた詳しく見当がいると思いました。それがない。

・警察人事。警察庁長官も警視総監もアベスガ政権を支えた者がなった。それを指摘する報道がない。官僚支配と三権分立破壊は、総理大臣の人事権にあると

片山善博の「日本を診る」144

自民党総裁選に埋没する立憲民主党に敢えて苦言を呈する」

二つのことを書いています。一つは自民党総裁選挙の正体を指摘。4人とも「実力者とみなされている人が候補の背後や周辺にいて」、強い影響を受け、力を借り、忖度している、といいます。

 岸田政権は誕生も、現在の運営もその通りになっています。

 もう一つは立憲民主党の準備不足です。「自公政権への批判と不満が野党支持につながらない」といい、過去の失敗を教訓とし、政権を担うために「努力と精進を重ねてきたとの印象は、筆者には薄い」と指摘しました。

 その一つが「霞が関との意思疎通の失敗」です。

 

日帰り豊岡、植村直己冒険館と江原河畔劇場

 2022110日は素晴らしくいい天気でした。年末に芝居『十五少年・少女漂流記』を観に豊岡に行く予定を立てましたが、今シーズンは雪が多く降るので、ちょっと心配でした。スタッドレスタイヤに履き替えましたが、雪道を運転した経験はないのです。

 それは杞憂に終わりました。

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 11時に西神中央駅に集合して、玉津ICから第2神明道路加古川バイパス、姫路バイパス、播但連絡道路北近畿豊岡自動車道(途中、朝来SAで昼食)と走ってきて、13時半ごろには日高神鍋ICにつきました。

 生野峠を越えると、空気感がかわり、走路上の雪はありませんが路肩に残っています。周りの山や田畑にも雪がありました。但馬地方に年末に数年ぶりの大雪が降ったと聞いていましたが、その名残です。

 劇場の開場時間が15時で、少し時間があるので植村直己冒険館に行きました。ここの駐車場周辺にも雪が残っています。建物全体は見えません。

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 彼は、但馬が生んだ世界的な冒険家です。世界5大陸最高峰登頂は知っていましたが、その他にも単独でのアマゾン川下り、犬ぞりで北極点到達など、多くの冒険を実践しています。1984年冬のアラスカ、マッキンリーに単独登頂に成功して、その下山途中で行方不明になっています。43歳でした。

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その年の4月に国民栄誉賞が贈られています。

彼は南極大陸横断を計画していました。あるいは冒険とは別に、その経験から自然と主に学ぶ野外学校をつくりたいと考えていたようです。

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 身長162㎝と意外と小柄でした。

江原河畔劇場

 15時前に劇場に着きました。すでに入り口には十数人が並んでいます。駐車場も埋まっていましたが、辛うじて1台だけ空きがありました。品川ナンバーの車も複数台並んでいます。

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 20214月、豊岡に兵庫県立の芸術文化観光専門職大学が開校しました。学長は劇作家、演出家の平田オリザさんです。そして彼が主宰する劇団「青年団」は、それ以前に旧商工会館を全面改装した江原河畔劇場に拠点を移しています。

 平田さんは、従来から地域での演劇活動をされていたようで、2014年頃から前の豊岡市長、中貝さんに但馬、豊岡の魅力を創り出すために協力を求められました。雑誌『世界』で「但馬日記」に、今日までの詳しい状況が書かれてあります。昨年の豊岡市長選挙では平田さんも巻き込んだ中貝市政に対する「演劇に肩入れしすぎ」というデマ宣伝もあったようです。

 平田さんは地域の小中高生をあつめて「たじま児童劇団」も設立しました。『十五少年・少女漂流記』は、その旗揚げ公演です。ジュール・ベルヌ十五少年漂流記」をモチーフとした平田オリザ作・演出です。

 玄武洞に遊びに行った少年、少女たちが異次元空間に迷い込み、そこで彼らは自分たちの生活を振り返り、悩みをぶつけ合い、生きていく意味などを考えます。そして自分たちの選択で、元の世界へ戻る、という1時間程度のディスカッション演劇でした。

 劇場は150席ほどですが、ほぼ満席で中高生から高齢者まで幅広い年齢層がいました。帰り際、高校生らしき子らが「面白かった」と感想を漏らしていました。

 平田さんは豊岡で世界最大の演劇祭を開催する、というビジョンも掲げています。文化芸術の大学と演劇活動で魅力的な但馬地域をつくろうという熱を感じました。

 応援したいですね。()