「どうなる?映画上映」を聞いて考えたこと

 行く前はあまり興味がわかなかった。映画業界のことを詳しく知ったとて、私のできることはない、と思っていたからだ。しかし、あまりにもひどい状況を聞いて、私にもできることはないかと考えた。
 百戦錬磨の弱小配給会社のつわもの達でさえ展望を見出せないでいる状況では、私のするべき仕事は限られてくる。
 簡単に言えば「映画業界と映画評論は車の両輪」という考え方に基づいて、映画鑑賞運動の一角である映画ファンの映画評論を広げ高めていくことしかないと思う。
 そもそもこのブログを始めた動機もそういうところが大きい。私が思うところの映画評論、映画批評があまりにも少ない、と言うかほとんどない、と言っても過言ではない。シネフロントと言う映画雑誌ががんばっているように思っていたが、「過激な意見は載せられない」という世間一般の雑誌のレベルであることが判明した以上、どこかに世間とつながる術を持つ必要を感じた。
 「全国映連」誌であるとか、神戸映画サークル協議会の機関誌「映画サークル」「映画批評」もそういう舞台を提供してくれているが、あまり迷惑かけられない。私の責任でものをいう場所が必要と思った。
 ところで、まともな映画評論がない状況は本当にそうであるのか、ちょっと調べてみた。キネマ旬報など映画雑誌はそうは言っても、映画評と映画の紹介はしている。普通の新聞、雑誌で映画をどう取り扱っているか、ちょっとだけ調べてみた。
 新聞は主に夕刊で映画の紹介をしている。木金土曜日が多い。しかし評論と言うべきレベルはない。わずかに日経新聞が堅い論調で書いている。朝刊では朝日新聞の「銀の街から」(沢木耕太郎)ぐらいしかない。新聞「赤旗」も山田和夫さんが倒れてからは、単発的で「映画紹介」と言う程度の論評が載るだけになっている。
 雑誌も月刊、週刊を合わせても映画評論と呼べる内容とスペースを持ったものはない。左右の代表的な論壇ある「世界」も「文藝春秋」も映画評論のコーナーはない。「週刊金曜日」月刊誌「葦牙」、右翼月刊誌「Will」に長いものが載っていた。それ以外は、ほとんど情報誌の映画紹介の域を出ていない。アエラなど藤原帰一さんを起用しているのにもったいない。
 週刊新潮週刊文春サンデー毎日週刊朝日などもなど本の紹介、書評はあるが映画をまともに論評するコーナーを設けていない。
 また日本共産党系の「経済」誌、「前衛」も山田和夫さんが不在で、後を受けて書き込む人がいない。創価学会の「潮」にもない。
 思想の如何を問わず、映画が軽く見られているのか思う。それとも映画評論は一般的な読者には受け入れられないということか。
 ジャーナリズムの映画離れはかなり重症だと思う。