「どうなる?映画上映」を聞いて考えたこと、その2

 厳しい話、暗い話が多いのはやむをえないが、さらに長期的変化で確実にやってくる大変な課題に人口減少がある。それも10年ぐらいならまだしも、30年50年の期間で言うと1億2千万人が9千万人台に落ち込む。しかもそれは一律ではないから、地方が厳しいだろうし、都市部でも周辺部は厳しいだろう。
 それが映画業界ではどのような影響が出るか、シュミレーションがされていてもおかしくない。しかし、おそらく真剣には検討されていないだろうと思う。
 なぜそう思うかと言えば、本来、そういった長期的でしかも確実に訪れてくる変化に対して対策を立てなければならない行政において、真剣な議論はされていない。あるいは意図的に避けていると言ってよい。これは、別項で述べるつもりの「街場の現代思想」(内田樹)でも紹介されているが、自分が責任を負う期間でなければ責任者であっても真剣に考えない、という悪癖の所為だ。これは民間とか公務員とかの区別はないと思う。自分の世代を超えた課題について人間は考えることが出来なのかもしれない。
 現在の映画人口は、一人当たり一年にほぼ1本見る程度だから、映画界全体の興行収入は確実に下がる。それを防ぐためには年に2本なり3本なりを見るような、映画文化の意識を変えなければならない。それにはパンドラの中野さんが言ったように、小さいころから映画館で映画を見る習慣が大事になってくる。そして、これまたコミュニティシネマの伊藤さんが言ったことだが、「映画を見て語る」ことで映画の面白さ、深みを知る、と言う経験が必要になってくる。
 これから映画業界も考えなければならないが、映画鑑賞運動の課題でもある。それストレートに私たちがやらなければならない、あるいはめざすべき課題であることであるし、映画業界が厳しくなったら、そこと共存するべきわれわれの運動、組織がつぶされる、恐れがあるからだ。
 まさか映画業界がつぶれてもわれわれだけが生き残れると思っている人はいないだろうが、映画は工業社会の産物であり、資本主義でも社会主義あっても生産と市場の規模がなければならない。他の芸術とはそこが根本的に違う。しかも映画鑑賞も映画批評も映画創造に付随するものである。
 人口減少があっても映画人口を維持させる、さらに向上させることは不可能ではない。隣の韓国は3本程度見る映画人口だ。韓国が映画文化を守るためにとっている政策を学ぶべきだろう。
 さらにこれは全体のGDPを維持向上させることと同じだが、一人当たりの生活レベルを引き上げることしかない。今回のパネリストはみんな、その共通認識に達しているだろうが、映画業界全体もそうなってもらいたい。